青岳尼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/02 00:33 UTC 版)
青岳尼(しょうがくに、? - 天正4年(1576年)3月21日[1][2][3])は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。小弓公方足利義明の娘で、安房国の戦国大名里見義弘の正室。実名不詳。
- ^ 「足利家通系図」(『古河市史 資料 中世編』所収)では、3月24日。「天正四年丙子三月廿四日卒、法名智光院殿洪嶽甃大姉」。ただし喜連川家関連であるこの系図では、後述するように足利義明の妹とされている。
- ^ a b c “興禅寺<富浦>”. 館山市立博物館. 2022年12月14日閲覧。
- ^ 興禅寺の供養塔銘文では、3月21日。なお、この供養塔は、延宝3年(1675年)の百年忌に建てられたもの。
- ^ 滝川恒昭・佐藤博信ら。なお、佐藤は『喜連川判鑑』などの喜連川家関連系譜が太平寺住持の青岳尼が足利義明の妹と記されている点に注目し、「青岳尼」と称される人物の伝記には里見義弘の室となった2人(義明の妹と娘)の伝記が混同している可能性を指摘している。
[続きの解説]
「青岳尼」の続きの解説一覧
- 1 青岳尼とは
- 2 青岳尼の概要
固有名詞の分類
- 青岳尼のページへのリンク