娼妓時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 04:34 UTC 版)
1927年(昭和2年)、大阪府大阪市西成区にある飛田新地の高級遊郭「御園楼」に前借金2800円で契約、連判者は父の重吉であった。ここでは「園丸」と名乗り、売れっ子娼妓となる。1年ほどすると常連客の会社員から身請けの話が出たが、その男性の部下も定の常連であり、身請け話は立ち消えになる。その後は逃走と失敗、トラブルを起こしては店を変え、大阪・兵庫・名古屋の娼館を転々とし、どんどん客層の悪い店に落ちていった。 1930年(昭和5年)1月、兵庫県篠山の京口新地の下等遊郭「大正楼」(建物は長く残っていたが、2019年に篠山市が取り壊しを決定)に移る。「おかる」「育代」と名乗って働いたが、定の証言によると、真冬も外に出て客引きをしなければならず、遊女時代で一番辛い職場だったという。結局6カ月ほど在籍した後に逃げ出し、娼妓としての仕事を辞めた。
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