娼婦となる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/19 14:39 UTC 版)
13歳の時、小児性愛者の中年男性に薬を盛られ、強姦の被害に遭う。19歳の時、母はエマに英国へ帰り一緒に住むよう説得したが、エマはそれを拒否し、ロンドンの祖母の家に住んだ。20歳になったある日曜日、ダイヤモンド商の男に声をかけられたエマは、誘われるままに酒屋に入り、そのまま泥酔した後姦通され、男への憎しみと自らの魅力を認識するようになったとも言われている。この出来事がエマにとって栄光と破滅の始まりとなった。エマはその後祖母の家を出て、しばらくロンドンで自活の道を探していたが、やがて娼婦となり、幾人かの富裕層の男性と出会いを重ねることになる。彼女はそれなりにかわいらしく、社会性や機知に富み、慎重でもあったため、男達の中には単なる夜の関係以上に彼女に興味を抱く者も現れた。 エマはその後、ロンドンの高級娼婦が集うクラブ「アーギルルーム」の経営者ロバート・ビッグネルの愛人となり、パリへ渡海したが、パリの華やかな魅力にとりつかれた彼女はロンドンへの帰国を拒否。パリで「コーラ・パール」と名を変え、演劇界に乗り込む。しかしお色気以外の技能は発揮できず、大した役ももらえなかった。ただし、かつて修道院で鍛えられた社交的マナーが身に備わっており、富裕層の男性に対するアピールは申し分なかった。程なくコーラは、フランス第二帝政下の富裕層・権力者の評判の的となり、女優としてではなく愛人として、彼らの幾人かとロマンスに落ちる。彼女は金を持っていなかったが、当時の宮廷お抱えのデザイナーであるシャルル・フレデリック・ウォルト(en)やラフェリエ(en)といった高級ブランドの服で身を飾ることで、富裕層の男性の気を引くことにも成功した。 この時期、第3代リヴォリ公爵ヴィクトル・マセナが、コーラの最初のパトロンとなった。しかしコーラはこの頃から深刻なギャンブル癖・浪費癖を呈するようになる。またマセナより11歳も若いアキル・ミュラ公(en、ジョアシャン・ミュラの孫)にラブコールを送ったことに嫉妬した公爵は激怒し、彼女の借金を肩代わりした後、愛人関係を終わらせた。コーラは新たな後援者をすぐに開拓し、欧州でも最も富裕な男たちを手玉に取っていく。
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