高畠達四郎とは? わかりやすく解説

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たかばたけ‐たつしろう〔‐タツシラウ〕【高畠達四郎】

読み方:たかばたけたつしろう

[1895〜1976]洋画家東京生まれフランス留学帰国後、独立美術協会創立参加詩的な風景画知られた。


高畠達四郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/05 08:14 UTC 版)

高畠 達四郎
1960年の高畠
生誕 1895年10月1日
東京市神田区
死没 (1976-06-26) 1976年6月26日(80歳没)
東京都港区
国籍 日本
著名な実績 洋画
受賞 毎日芸術賞(1952年)

高畠 達四郎(たかばたけ たつしろう、1895年10月1日 - 1976年6月26日)は、日本画家独立美術協会会員。1952年2月に「暮色」で毎日芸術賞を受賞[1]

略歴

1895年10月1日、東京市神田区の雑穀問屋に生まれた[1]。四男三女の末子[1]東京女子高等師範学校幼稚園では同級生に鈴木信太郎(仏文学者)がいた[1]。1908年に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業、1913年に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。第七高等学校(現・鹿児島大学)文科と海軍兵学校に合格したが入学しなかった。1年後の1914年には慶應義塾大学理財科(現・経済学部)に入学したが、中退して本郷洋画研究所に入所[1]。1919年の光風会展で初入選を果たした[1]

1921年に神戸から渡仏し、パリではアカデミー・ランソン英語版に通った[1]中山巍福沢一郎、大石七介とともにロルヌ街32番地のアトリエに住み、後には鈴木伸太郎も迎えた[1]モイーズ・キスリングらのエコール・ド・パリの影響を受けた。1928年に7年のフランス生活を終えて帰国すると、梅原龍三郎の勧めで国画会に出品したが、1930年には独立美術協会の結成に参加し、以後独立展を主要な活動の場とした。1952年2月に毎日芸術賞を受賞[1]

1976年6月26日、東京都港区の自宅で死去[1]。80歳。墓所は東京都文京区伝通院

高畠家の墓石

代表作品

  • プチ・ジャン
  • 裸木と海
  • 暮色

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「高畠達四郎」(1977年)、2016年10月9日閲覧。

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