石塚友二とは? わかりやすく解説

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石塚友二

石塚友二の俳句

ゆく春やいつ棲み初めし耳の蟬
らあめんのひとひら肉の冬しんしん
今生の今日の花とぞ仰ぐなり
別れ路や虚実かたみに冬帽子
建長寺さまのぬる燗風邪引くな
百方に借あるごとし秋の暮
盆唄や今生も一ト踊りにて
酔ひ諍ひ森閑戻る天の川
 

石塚友二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/17 09:45 UTC 版)

石塚 友二(いしづか ともじ、1906年9月20日1986年2月8日)は、新潟県出身の俳人小説家編集者。俳誌「」の二代目主宰。本名は友次。

経歴

北蒲原郡笹岡村(現阿賀野市)生まれ。笹岡尋常高等小学校高等科卒業。農業学校を出て家業の農業に従事したのち、1924年に叔父を頼って上京[1]横浜の濾水工場で働いたのち、1932年まで神田東京堂書店に勤める。この間、那珂公平の紹介で横光利一に師事したほか、多くの文人と交わる。32年、保高徳蔵の「文学クオタリイ」に参加、同人となり発行事務を手伝う。1933年、書物展望社にて随筆誌『文体』の編集に携わる。1935年、沙羅書店を設立、横光利一の『日輪』『覚書』、水原秋桜子の『葛飾』復刻版、石橋辰之助の『山行』、石田波郷の『石田波郷句集』などを刊行する。

俳句は当初秋桜子の「馬酔木」に投句。1937年石田波郷を主宰として「」を創刊、発行編集者となり、のちに波郷が応召された際には代選も務めた。1940年、『俳句研究』3月号に「方寸虚実」80句、9月号に「心塵半歳」135句を発表し注目を浴びる。1941年結婚。1942年、自身の結婚を題材とした短編小説「松風」(『文學界』1942年2月号)が第15回芥川賞候補となる。同作で1943年池谷信三郎賞受賞。1944年5月、空襲を受け新潟に疎開。9月、川端康成に勧められ鎌倉文庫に入社、上京。鎌倉稲村ケ崎に仮寓する。

戦後復刊した「鶴」では毎号に随筆「日遣番匠(ひやりばんしょう)」を掲載、1969年に波郷が没してより同主宰を継承した。1980年、第29回神奈川文化賞(文学部門)受賞。代表句に「百方に借りあるごとし秋の暮」などがあり、日々の生活を題材とし、私小説的な世界がそのまま俳句となるような句境を開いた。1986年2月8日、気管支炎による心不全のため死去、79歳。

著書

  • 百万 三省堂 1940 (俳苑叢刊)
  • 方寸虚実 甲鳥書林 1941 (昭和俳句叢書)
  • 冬鶯 協栄出版社 1943
  • 松風 小山書店 1943
  • 青春 小山書店 1944
  • 渚にて 角川書店 1947
  • 青野 海口書店 1948
  • 橋守 改造社 1948
  • 光塵 句集 一橋書房 1954
  • とぼけ旅人 俳句随筆 北辰堂 1956
  • 日遣番匠 学文社 1973
  • 田螺の唄 永田書房 1973
  • 磊磈 五月書房 1976
  • 石塚友二集 俳人協会 1977
  • 石塚友二句集 自選自解 白凰社 1979
  • 玉縄抄 句集 四季出版 1985
  • 玉縄抄以後 竹頭社 1987
  • 俳句の話 宝文館出版 1992

脚注

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  1. ^ 上田正昭ほか監修 著、三省堂編修所 編 『コンサイス日本人名事典 第5版』三省堂、2009年、102頁。 

参考文献

関連文献

  • 村沢夏風編 『石塚友二の世界』 梅里書房、1990年

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