高桑闌更とは? わかりやすく解説

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たかくわ‐らんこう〔たかくはランカウ〕【高桑闌更】

読み方:たかくわらんこう

[1726〜1798]江戸中期俳人加賀の人。名は忠保または正保蕉風復興努め天明俳諧中興貢献編著芭蕉消息集」「俳諧世説」、句集「半化坊発句集」など。


高桑闌更

読み方たかくわ らんこう

江戸後期俳人加賀金沢生。名は忠保・正保通称釣瓶屋長次(治)郎、号は半化坊・亭・狐狸窟・芭蕉堂・南無庵等。俳諧和田希因に学ぶ。中年京都移り、医を業としながら俳諧遊び、『落葉考』を著し蕉風復帰唱え蕉風隆盛努めた門流小沢何丸桜井梅室成田蒼・等がいる。寛政10年(1798)歿、73才。

高桑闌更

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/28 06:45 UTC 版)

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高桑 闌更(たかくわ らんこう、享保11年(1726年)- 寛政10年5月3日1798年6月16日))は、江戸時代中期~後期の俳諧師である。名は忠保、または正保。通称は長次郎。初号は闌犀、別号に狐狸窟(狐狸仙、半化(半化房)。庵号は李桃亭・二夜庵・南無庵・芭蕉堂。

来歴

来歴は『新版近世文学研究事典』に拠る[1]

商家鶴瓶屋に生まれ、伊勢派の和田希因に俳諧を学ぶ。希因没後、30代半ばに蕉風復古を唱え、1763年(宝暦13年)金沢の野蛟神社で芭蕉70回忌を修して、芭蕉資料を集めた『花の故事』を刊行。明和期に入ると、浅野川近くに二夜庵を結び、1769年(明和6年)には芭蕉の俳風の変遷を『有の儘』にまとめ、1771年(明和8年)には旧著の補訂を含む蕉門資料を『落葉考』にまとめた。天明期には京都に出て医業に就いたが、まもなく東山双林寺に芭蕉堂を設けて森川許六が刻んだ芭蕉堂を安置し、南無庵と称して芭蕉顕彰に着手した。1786年(天明6年)以後は毎年3月12日に芭蕉会を修し、『花供養』を刊行した。句集に『半化房発句集』(1787年(天明7年)刊)。1793年寛政5年)には暁台に次いで、花の下宗匠の号を二条家から与えられた。

脚注

  1. ^ 岡本勝雲英末雄 『新版近世文学研究事典』 おうふう、2006年2月、375頁。 

出典

  1. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『高桑闌更』- コトバンク
  2. 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)『高桑闌更』- コトバンク
  3. 美術人名辞典(思文閣)『高桑闌更』- コトバンク



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