虚白とは? わかりやすく解説

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虚白

読み方きょはく

江戸後期東福寺住職俳人堂慧喬。号は蔭涼軒高桑闌更の門。自坊近江土山常明寺住職傍ら■(火+畏)■(くさかんむり+宇)軒を結び、蒼■(+乚、きゅう)・梅室らと吟交した。南禅寺住職となり僧階最高の紫衣上堂となる。弘化4年(1847)寂、73才。

虚白

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/17 04:28 UTC 版)

虚白(きょはく、安永2年(1774年) - 弘化4年(1847年)10月26日)は、江戸時代後期の臨済宗の僧、俳人[1][2]。僧名は松堂慧喬で、号に蔭涼軒、煨芋軒(わいうけん)がある[1]

経歴・人物

滋賀県甲賀市土山町瀬ノ音にある虚白の句碑

近江甲賀郡土山村(現:滋賀県甲賀市土山町)の人[1]。朝廷に仕える臣下の落胤説がある[1]

6歳で常明寺の淡嶺和尚の徒弟となる[1]寛政3年(1791年)に行脚に出て17年間名刹を巡遊した後、35歳で師の法を継ぐ[1]。その後、肥前佐賀の高城寺、山城嵯峨の眞如寺、京都東福寺南禅寺で住職をし[1]僧階最高の紫衣上堂となる[3]。晩年は東福寺塔頭の一つである即宗院に退隠した[1]

俳諧高桑闌更に学び、闌更門の成田蒼虬桜井梅室、画家の中島来章などと親交した[2]。俳諧結社の「浮巣社」を結成し、創作活動を行うとともに三好赤甫など門下の俳人を育てた[4]

虚白の句に「孑孑(ぼうふら)や蚊になるまでの浮き沈み」、「受けて待つ手をすれすれに散る紅葉」(東福寺の句碑)、「おほけなき床の錦や散り紅葉」(辞世の句)等がある。

「蔭涼虚白家集」や没後百年忌に「禅俳僧虚白 : 俳諧語録」が出版されている。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 近江人物志. 滋賀県教育会. (1917). p. 630. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1880402/359 
  2. ^ a b 虚白”. コトバンク デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 朝日新聞社. 2019年11月28日閲覧。
  3. ^ 虚白”. www.weblio.jp. 2019年11月28日閲覧。
  4. ^ 甲賀市史 第8巻 甲賀市事典. 甲賀市. (2016年12月12日). p. 353 


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