石橋辰之助とは? わかりやすく解説

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石橋辰之助

石橋辰之助の俳句

朝焼の雲海尾根を溢れ落つ
繭干すや農鳥岳にとはの雪
霧深き積石に触るるさびしさよ
 

石橋辰之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 03:56 UTC 版)

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石橋 辰之助(いしばし たつのすけ、1909年明治42年)5月2日 - 1948年昭和23年)8月21日)は、俳人栗林一石路橋本夢道とともにプロレタリア俳句運動に尽力した。別号に竹秋子。

略歴

東京府下谷区生まれ。安田工業学校電気科卒業。帝国劇場帝都座照明技師を経て[1]日本映画社の制作課長となる[2]。10代より「ホトトギス」に投句。1931年、「ホトトギス」を離れ水原秋桜子の「馬酔木」に参加、1933年同誌同人。当時は竹秋子の号を用い、特に山岳俳句において新局面を開く。

1937年、「馬酔木」を離れ新興俳句運動、プロレタリア俳句運動に参加、翌年「京大俳句」に参加。1939年には西東三鬼三谷昭らと「天香」を創刊するが、1940年「京大俳句」弾圧事件に連座、「天香」も終刊を余儀なくされる。

戦後は新俳句人連盟に参加し委員長を務めた。1948年、急性結核により死去、40歳没。句集に『山行』などがある。

句集

  • 『山行』馬酔木叢書(沙羅書店)1935年
  • 『家』(三省堂)1940年
  • 『妻子』(七洋社)1948年
  • 『山暦』(朋文堂)1951年
  • 『定本・石橋辰之助句集』(俳句研究社)1969年
  • 『家』(沖積舎・新装覆刻)1987年

出典

  1. ^ 上田正昭ほか監修、三省堂編修所編 『コンサイス日本人名事典 第5版』 三省堂、2009年、104頁。 
  2. ^ 『俳句人』1948年14号1頁「石橋辰之助追悼號」略歴より。

参考文献

  • 『俳句人』「石橋辰之助追悼號」1948年14号(新俳句人連盟)
  • 石橋辰之助」 デジタル版 日本人名大辞典+Plus、kotobank

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