『京大俳句』
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1933年1月、平畑静塔、井上白文地、藤後左右、長谷川素逝らによって創刊。編集発行人は静塔。顧問として鈴鹿野風呂、日野草城、水原秋桜子、山口誓子、五十嵐播水が名を連ね、賛助員37名、研究会員14名で構成。1935年から学外に門戸を開き、西東三鬼、高屋窓秋、石橋辰之助、渡辺白泉、三橋敏雄らが参加。自由主義の主張のもと実作・理論の両面の向上を唱え、新興俳句運動の中心誌として無季俳句や戦争俳句が多く載った。しかし反戦的な内容から、1940年2月から8月にかけて静塔、白文地、白泉、辰之助、三鬼ら編集関与者14名が治安維持法違反として次々特高警察によって検挙される(新興俳句弾圧事件)。これによって同年2月、『京大俳句』は終刊を余儀なくされ、新興俳句運動は急速に終焉に向かった。 戦後も断続的に復活しており、1970年代から80年代にかけては江里昭彦や上野ちづこらニューウェイブの俳人の拠点となったが、1983年に終刊した。 2009年に教職員を中心とした立ち上げメンバーにより復刊が図られ、現在に至っている。
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