五十嵐播水とは? わかりやすく解説

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五十嵐播水

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/17 03:09 UTC 版)

五十嵐 播水(いがらし ばんすい、1899年1月10日 - 2000年4月23日)は、日本の俳人内科医。本名は久雄(ひさお)。兵庫県出身。

経歴

姫路市鍛冶町に生まれる。野里尋常小学校、姫路中学校を経て、1923年京都帝国大学医学部卒業。卒業後に松尾内科勤務を経て、神戸市立中央市民病院に勤務。同病院の副院長・院長を1959年まで務める。1961年に神戸市生田区で五十嵐内科を開業、1993年まで医師として務めた。

大学在学中の1920年より句作をはじめ、京大三高俳句会高浜虚子と出会い師事する。1922年、「京鹿子」同人。1930年、山本梅史の跡を継いで「九年母」選者。1932年、「ホトトギス」同人。1933年、山口誓子水原秋桜子日野草城鈴鹿野風呂らと共に「京大俳句」創刊に参加。1934年、「九年母」の発行所を神戸に移し主宰。1968年、兵庫県文化賞、1973年、神戸市文化賞、1979年、神戸新聞平和賞、1989年、兵庫県高齢者特別賞を受賞。2000年没、101歳[1]

虚子没後も「ホトトギス」最年長同人として尽力。海港を詠んだ叙情句を得意とし「港の播水」といわれた。妻は五十嵐八重子、息子は五十嵐哲也で共に俳人。哲也は播水の死後に「九年母」主宰を継いだ。

著書

  • 播水句集(1931年)
  • 月魄(1940年)
  • 埠頭(1942年)
  • 一頁の俳話(1943年)
  • 石蕗の花(1954年)
  • 句作雑話(1960年)
  • 老鶯(1971年)
  • 虚子門に五十余年(1977年)
  • 秋燕(1980年)
  • 播水遺句集(2000年)

歌碑

脚注

  1. ^ 姫路文学館 | 企画展 生誕120年俳人五十嵐播水展”. 姫路文学館 (2019年2月9日). 2023年7月17日閲覧。

参考文献

  • 『現代俳句大事典』三省堂、2005年
  • 『ホトトギスの俳人101』新書館、2010年

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