五十嵐敬止とは? わかりやすく解説

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五十嵐敬止

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 15:15 UTC 版)

五十嵐敬止
いがらし けいし
生年月日 1860年4月15日
出生地 日本 下総国香取郡多古村
(現・千葉県香取郡多古町
没年月日 (1931-06-09) 1931年6月9日(71歳没)
所属政党 立憲政友会

選挙区 千葉県全県選挙区
当選回数 1回
在任期間 1911年 - 1912年5月14日

在任期間 1890年9月29日 - 1897年9月28日
1904年9月29日 - 1911年5月24日
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五十嵐 敬止(いがらし けいし、1860年4月15日(万延元年3月25日[1][2])- 1931年昭和6年)6月9日[3])は、明治時代前期の政治家銀行家貴族院多額納税者議員衆議院議員

経歴

多古藩の代官・五十嵐敬慎の六男[1][注 1]として下総国香取郡多古村(現在の千葉県香取郡多古町)に生まれる[4]。21歳の時に渡米し、帰郷後は養鶏業を営む[4]1884年(明治17年)以降、多古村学務委員、同戸長を歴任する[5]。その後、千葉県多額納税者として貴族院議員に2度互選され、1890年(明治23年)9月29日[6]から1897年(明治30年)9月28日および1904年(明治37年)9月29日[7]から1911年(明治44年)5月24日[8]まで在任した[3]。この間、1897年(明治30年)より千葉県農工銀行頭取のほか日本勧業銀行創立委員、同監査役、同理事兼債券部長を務めた[4]

ついで1911年5月の第10回衆議院議員総選挙では立憲政友会所属で出馬し、東条良平の死去に伴い補欠当選し1期務めた[9][10]

親族

脚注

注釈

  1. ^ 『大日本人物誌』い之部84頁では五十嵐佐一郎の二男。

出典

  1. ^ a b 人事興信所 1903, 68頁.
  2. ^ 『大日本人物誌』い之部84頁。
  3. ^ a b 衆議院、参議院 編 1960, 178頁.
  4. ^ a b c 五十嵐 1909, 22頁.
  5. ^ 衆議院、参議院 編 1960, 177頁.
  6. ^ 『官報』第2179号、明治23年10月2日。
  7. ^ 『官報』第6377号、明治37年9月30日。
  8. ^ 『官報』第8375号、明治44年5月25日。
  9. ^ 衆議院、参議院 編 1962, 25頁.
  10. ^ 衆議院事務局 1912, 236頁.
  11. ^ 人事興信所 1915, そ6頁.

参考文献




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