鈴鹿野風呂とは? わかりやすく解説

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鈴鹿野風呂


鈴鹿野風呂

鈴鹿野風呂の俳句

しぼり出すみどりつめたき新茶かな
北嵯峨の水美しき冷奴
雲を吐く三十六峯夕立晴
 

鈴鹿野風呂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/17 14:01 UTC 版)

鈴鹿 野風呂(すずか のぶろ、1887年明治20年)4月5日 - 1971年昭和46年)3月10日)は、日本俳人。本名・登。

京都生まれ[1]鹿児島第七高等学校造士館 (旧制)を経て、1916年京都帝国大学文学部国文科卒。高濱虚子に師事、「ホトトギス」同人。大学卒業後、鹿児島の川内中学校(現・鹿児島県立川内高等学校)教諭となる。1920年京都に戻り、大日本武徳会武道専門学校 (旧制)の教授となる(戦後、同校最後の校長に就任)。「京大三高俳句会」を母体として日野草城らとともに「京鹿子」創刊。同誌はのちに野風呂が主宰となり、関西におけるホトトギス派の中軸となっていった。俳諧活動の傍ら学校でも教鞭をとり、戦後は大阪成蹊女子短期大学教授を務める。1968年京都市文化功労者。句集に『野風呂句集』『浜木綿』 『俳諧大矢数』ほか多数。1971年に83歳で死去した。「京鹿子」は次男の丸山海道が後を継いだ[1]

生前は嵯峨一万句を志していたとされるほど嵯峨を愛したほか、京都のみならず全国各地を吟行して多くの句を残した[1]。洛東の法然院以来、建てられた句碑の数は京都の社寺だけでも40を数える[1]

生家の鈴鹿家は大正時代から昭和にかけて三高・武専・京大の学生らが出入りして俳句道場と化し[1]、また「京鹿子」発行所でもあったが、1997年平成9年)からは京鹿子社により野風呂記念館(京都市左京区吉田中大路町)として運用されている。

脚注

  1. ^ a b c d e 京都新聞社編著『京の文学碑めぐり』京都新聞社、1981年、122-124頁。

参考文献

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