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長谷川素逝

長谷川素逝の俳句

あたたかくたんぽぽの花茎の上
いちまいの朴の落葉のありしあと
おぼろめく月よ兵らに妻子あり
さよならと梅雨の車窓に指で書く
しづかなるいちにちなりし障子かな
ふりむけば障子の桟に夜の深さ
円光を着て鴛鴦の目をつむり
春の夜のつめたき掌なりかさねおく
生徒らと五月の朝の窓あけて
苗代の月夜ははんの木にけむる
連翹の雨にいちまい戸をあけて
 

長谷川素逝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 14:03 UTC 版)

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はせがわ そせい
長谷川 素逝
生誕 1907年(明治40年)2月2日
日本 大阪府
死没 1946年(昭和21年)10月10日
日本 三重県
出身校 京都帝国大学
職業 俳人

長谷川 素逝(はせがわ そせい、1907年(明治40年)2月2日 - 1946年(昭和21年)10月10日)は、日本俳人。本名・直次郎。

生涯

父が大阪砲兵工廠の技師であったため大阪府で生まれたが本籍は三重県津市1915年父の退職により津に戻り、津中学校京都市第三高等学校を経て京都帝国大学に入学。

俳句を田中王城、鈴鹿野風呂に師事し、1929年野風呂主宰の「京鹿子」同人。また高濱虚子にも師事し、1930年ホトトギス」初入選。 後に平畑静塔らとともに「京大俳句」創刊に参加するも、1933年に志を異にして決別。同年、「阿漕」を創刊・主宰。 1937年砲兵少尉として応召。同年、病により内地送還。1939年戦争を詠んだ句を集めた句集『砲車』を刊行。その後の句集に『三十三才』『ふるさと』『村』『暦日』がある。1946年、「桐の葉」を主宰。同年、結核により旧大里陸軍療養所で死去。39歳。一時旧制甲南高等学校の教授も務めた。

参考文献

脚注

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