長谷川素逝とは?

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長谷川素逝

読み方はせがわ そせい

俳人。名直次郎京都大学国文科卒。論文は「乞食井月研究」。津中学甲南高校教師となるが病の為療養する。俳句三高京大より初め鈴鹿野風呂師事し、「京鹿子」に投句同時に高浜虚子教えを受け「ホトトギス」に精進した。昭和21年(1946)歿、40才。

長谷川素逝

長谷川素逝の俳句

あたたかくたんぽぽの花茎の上
いちまいの朴の落葉のありしあと
おぼろめく月よ兵らに妻子あり
さよならと梅雨の車窓に指で書く
しづかなるいちにちなりし障子かな
ふりむけば障子の桟に夜の深さ
円光を着て鴛鴦の目をつむり
春の夜のつめたき掌なりかさねおく
生徒らと五月の朝の窓あけて
苗代の月夜ははんの木にけむる
連翹の雨にいちまい戸をあけて
 

長谷川素逝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/09 15:28 UTC 版)

長谷川 素逝(はせがわ そせい、1907年(明治40年)2月2日 - 1946年(昭和21年)10月10日)は、日本俳人。本名・直次郎。父が大阪砲兵工廠の技師であったため大阪府で生まれたが本籍は三重県津市1915年父の退職により津に戻り、津中学校京都市第三高等学校を経て京都帝国大学を卒業。俳句を田中王城、鈴鹿野風呂に師事し、1929年野風呂主宰の「京鹿子」同人。また高濱虚子にも師事し、1930年ホトトギス」初入選。 その後母校の関係で「京大俳句」創刊に参加。三重で中学校教師をしながら1933年「阿漕」を創刊・主宰した。1937年、砲兵少尉として応召。翌年12月病により内地送還となる。1939年、戦争を詠んだ句を集めた句集『砲車』を刊行。その後の句集に『三十三才』『ふるさと』『村』『暦日』がある。一時旧制甲南高等学校教授もつとめ「桐の葉」を主宰した。1946年10月10日結核により旧大里陸軍療養所で死去。39歳。






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