『京都修行編』 料亭「登美幸」の登場人物
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女将さん 料亭「登美幸」を一代で店を築き上げた苦労人。独自の経営哲学「商売は始末と工夫」を持つ。使った野菜の根を植えて再利用する程の始末屋で、当初は伊橋からは陰で吝嗇家扱いされていたが、「始末と工夫はただのケチではなく、物を大切にする心」であると説き、考えを改めさせた。横山が「登美幸」で同窓会を開く事になった際、自分が代金を全て持つと申し出た時には「おごってやればみんなが喜ぶと思うのは考え違いであり、金がないために悔しい思いをした事のある人にとっては自分が払う事が嬉しい場合もある」と諭し、横山もその日の夜に伊橋と飲んだ際に「わしはまだまだ未熟や」と漏らしている。 横山 花板を務める。年齢は「登美幸編」の時点で40歳ほど(中学卒業と同時に上洛して25年)。「親父さん」と呼ばれているが、登美幸では女将の権限が強いため、他の花板(田辺、熊野、富田の、「吉川」で修行した面々)に比べると地味。就職列車で好きだった「厚ちゃん」と一緒だったが、素直になれず降りた後に渡された温州みかんを握り締めて走るなど純情を見せた。普段は熊野からの依頼もあってあくまで伊橋を追い回しとして扱っているが、忙しい時には焼方としての仕事を任せる事もあった。後に東京に帰った伊橋が訪ねてきて「登美幸」の仕事を手伝う事になった時は「もう追い回しじゃないから」と、一人前として扱ってくれた。 古瀬 板場のナンバー2だが、伊橋達同様住み込みで働いている。料理については抜群のセンスと技を持つ。夜に遊び歩いて窓に石を投げて部屋に戻るのが日常。仕事に飽きを感じており、クリエイティブな仕事をしたいと言っていたが、ボンさんから、相談した伊橋へのアドバイス、その電話を聞いていた女将さんの紹介で訪ねた「湯葉作さん」の仕事を見て考えを改めた。 小松 煮方を務める。登美幸編初期は横山をはじめ他の板前が伊橋を「伊橋(はし)やん」と呼ぶ中、一人「伊橋」と呼び捨てで、よく怒鳴りつけていたが、後に皆と同様「伊橋やん」と呼ぶようになった。夫婦仲が悪かったが、店に訪れた「古都」を守ろうとする外人客のおかげで考えを改め直した。 石川 焼方を務める。昔はラグビーをやっており、伊橋を「零下12度の北陸へ飛ばされかねない」と怖がらせたりもした。 藤田 追い回し。伊橋より年下で経験も浅く、伊橋が来るまで彼が唯一の追い回しであり、最初は年上で焼き方の修行まで出来ている伊橋を「兄さん」と呼んだが、伊橋の方で「兄さんはそっちじゃないですか」と彼を立てた。肩書きは同じ追い回しでも、やはり元々焼方までの修行が済んでいる伊橋とは技術面で比べ物にならず、自信を無くした事がある。 徳はん 「登美幸」の従業員の老人だが、大掃除のエピソードに登場しただけで詳細は不明。 宗重さん 伊橋と銭湯で知り合い交遊を深める。電気もガスも無い庭は野草を伸ばし放題の帰去来庵というあばら屋に住むが、祇園一帯の土地を所有する大金持ち。熊野が京都で修行していたときからの知り合いで、伊橋の修行を見極めるように依頼されていた。ボンさんが京都で芸者遊びをしていたときに会ったことがあり、「藤村」でその事が分かった時にはボンさんと「人の縁というのは面白いものですなあ」とお互い懐かしがった。
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