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ぼひ‐めい【墓碑銘】

読み方:ぼひめい

墓碑刻んだ死者経歴事績などについての文章墓銘

「墓碑銘」に似た言葉

墓碑銘

作者あせごのまん

収載図書エピタフ
出版社角川書店
刊行年月2006.11
シリーズ名角川ホラー文庫


墓碑銘

作者西木正明

収載図書「幸福」行最終列車
出版社実業之日本社
刊行年月1990.6


墓碑銘

作者魯迅

収載図書魯迅文集 2
出版社筑摩書房
刊行年月1991.4
シリーズ名ちくま文庫


墓碑銘

作者菊地秀行

収載図書東京鬼譚
出版社双葉社
刊行年月1992.10

収載図書ふるえて眠れない―ホラーミステリー傑作選 名作で読む推理小説
出版社光文社
刊行年月2006.9
シリーズ名光文社文庫


墓碑銘

作者岩橋

収載図書滑る少年
出版社近代文芸社
刊行年月1995.7


墓碑銘

作者倉阪鬼一郎

収載図書時間怪談異形コレクション 10
出版社広済堂出版
刊行年月1999.5
シリーズ名広済堂文庫


墓碑銘

作者ブラッドリイ・ストリックランド

収載図書幻想と怪奇―おれの夢の女
出版社早川書房
刊行年月2005.4
シリーズ名ハヤカワ文庫NV


墓碑銘

作者レイ・ブラッドベリ

収載図書社交ダンス終った夜に
出版社新潮社
刊行年月2008.11
シリーズ名新潮文庫


エピタフ

(墓碑銘 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/19 17:36 UTC 版)

エピタフ(epitaph)とは墓碑銘を意味する語である。語源はギリシャ語で「墓の上に」を意味するエピタピオス(ἐπιτάφιος)から。 死者の生前の功績をたたえて墓石に刻まれ、古よりの形式をとっている。優れた詩人は生前に自分のエピタフを詠んでいることもある。


  1. ^ Lichtheim, Miriam (1980), Ancient Egyptian Literature: Volume III: The Late Period, Berkeley and Los Angeles: University of California Press, ISBN 0520040201 p.6
  2. ^ Parke, Catherine Neal (2002), Biography: Writing Lives, New York and London: Routledge, ISBN 0415938929 p.1-2
  3. ^ 出口保夫 『イギリス怪奇探訪: 謎とロマンを求めて』 PHP研究所


「エピタフ」の続きの解説一覧

墓碑銘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 09:27 UTC 版)

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ」の記事における「墓碑銘」の解説

カラヴァッジョの墓碑銘は、友人のマルツィオ・ミレージによるものである。 フェルモ・ディ・カラヴァッジョの息子ミケランジェロ・メリージ自然そのもの以外に比肩しうるもののいない画家ナポリからローマへと向かう途中のポルト・エルコレにて36年と6カ月12日人生生きて1610年8月15日客死した - 法学者マルツィオ・ミレージが、この異常なまでの才能持った友人捧ぐ

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墓碑銘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/22 15:12 UTC 版)

アルバート・ジョンストン」の記事における「墓碑銘」の解説

ジョンストン死亡日、1862年4月6日日曜日モルモン教設立から32回目記念日一致していた。1856年ユタ戦争では、ジェームズ・ブキャナン大統領によってアメリカ合衆国対す反乱者と見なされたモルモン教徒に対してジョンストンアメリカ軍率いたジョンストン死んだとき、この時はエイブラハム・リンカーン大統領によって、南軍指揮官としてアメリカ合衆国対す反乱者と見なされたのはジョンストンだった。 ジョンストンルイジアナ州ニューオーリンズ埋葬された。1866年テキサス州議会共同決議によって、その遺骸テキサス州オースティンテキサス州墓地に移葬されることとなった。移葬は1867年行われた40年後、テキサス州はエリザベート・ナイを指名して、その墓所建てる記念碑彫刻設計をさせた。 テキサス州歴史委員会は、ジョンストンプランテーションだった所の入り口近く歴史を示す標識立てたテキサス共和国の娘達サンジャシント支部、およびアメリカ連合国の娘達連合のリー・ロバーツ・アンド・デイヴィス支部によって、別の標識近く立てられた。

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墓碑銘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/19 05:17 UTC 版)

市川栄之助」の記事における「墓碑銘」の解説

原胤昭立てた墓碑銘には次のように書かれている市川夫妻之碑市川栄之助君は東京の人夙に基督教を学ふ明治4年6月此故を以って其妻と共に神戸の獄に繋かれ翌年11月病を得京都二条の獄に死す先是米国宣教師公使訴ふ岩倉大使欧米巡遊の途に在り米国国務大臣質す所となる大使直ちに之を本国通し信教の為め入獄せる者を放免し初て禁教の政撤去せしむ君亦眠を安し可也 基督教有志之を建つ。1909年7月

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墓碑銘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/03 02:58 UTC 版)

フランシス・マリオン (軍人)」の記事における「墓碑銘」の解説

フランシス・マリオンの墓には次のように書かれているSacred to the MemoryofBRIG. GEN. FRANCIS MARIONフランシス・マリオン思い出捧げる)Who departed his life, on the 27th of February, 1795,(1795年2月27日逝去)IN THE SIXTY-THIRD YEAR OF HIS AGE63歳没)Deeply regretted by all his fellow citizensすべての仲間惜しまれて逝った)HISTORY歴史は)will record his worth, and rising generations embalm(アメリカ独立戦争傑出した愛国者英雄)his memory, as one of the most distinguished(の一人として彼の功績記録し)Patriots and Heroes of the American Revolution:(次の世代彼の記憶を残す)which elevated his native Country彼の生まれ故郷に)TO HONOUR AND INDEPENDENCE,(栄誉独立与え)ANDSecured to her the blessings of(自由と平和の恵をもたらしたLIBERTY AND PEACEThis tribute of veneration and gratitude is erected(尊敬感謝の気持ち込めて捧げる)in commemoration of the noble and disinterested virtues of the(高貴無私市民美徳に)CITIZEN;and the gallant exploits of the(そして勇敢な兵士功績に)SOLDIER; Who lived without fear, and died without reproach(彼は恐れ知らず非難されるともなく死んだマリオンサウスカロライナ州バークレー郡のベル・アイル・プランテーション墓地埋葬されている。

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墓碑銘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/25 05:03 UTC 版)

リマウ作戦」の記事における「墓碑銘」の解説

戦後オーストラリア戦略調査団決死隊員の足取り調査しジェイウィック作戦リマウ作戦について1946年8月オーストラリア陸軍大臣フォーデ(英語版)の声明として発表しジェイウィック作戦参加者進級叙勲された。 ソレ島で戦死したライアン中佐ロス中尉遺骸は、軍法会議刑死した隊員遺骸とともにシンガポールクランジ戦没者共同墓地に移葬された。またシンガポールの聖ジョージ・ギャリソン教会英語版)内に、ライアン中佐夫人により記念碑建てられた。

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墓碑銘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 00:17 UTC 版)

中田直慈」の記事における「墓碑銘」の解説

(原文)五位勲四等中田直慈君墓碑銘君諱直慈幼稱長吉後更久米中田氏世仕亀田候 考諱曾平妣栗原氏弘化四年丁未十月十五日生好學通暁史籍長為藩學教授學監明治三年藩命江戸學國典平田篤胤之門已而廢藩置縣士皆解常職乃官山梨縣大蔵收税十七以降歴任鹿児 島岐阜熊本三縣收税長至宇都宮税務管理局三十年轉内蔵助調度主事後爲東宮主事内大臣秘書官宮内書記官初敍從七位累進正五位敍勲四等瑞寶章天資敦篤重厚臨事不苟思而後言慮而後行是以在官三十年竟無一失所在有聲平生儉薄自奉慈愛人人不稱爲君子三十五年二月二十二日以病卒於東京青山之寓年五十有六葬于青山墓域浮屠諡曰仁壽院行譽單直慈愍居士君娶葉山氏奉四子長男曰薫嗣次曰文雄夭次曰三郎次曰四郎二女余與君相知相交于茲二十年一朝溘亡幽明永隔 毎思之未曾不惻然今茲小祥期至嗣子薰來請銘義不可辭因据状敍梗概繋之以銘銘曰 敦篤重厚 在職循良 音容恍惚 青山之域 卜宅固 鶴唳何處 暮雲蒼蒼明治三十六年二月 内蔵頭従三位勲一等男爵 渡邊千秋撰竝書(意訳)五位勲四等中田直慈の墓碑銘直慈は幼名長吉といい、後、久米改めた中田氏代々亀田候に仕えた亡父は曾平、亡母栗原氏で、弘化四年十月十五日に生まれた。幼いときから学問好み史籍通暁し長じて藩学教授となり、後、学監務めた明治三年藩命にて江戸上京し平田篤胤門人として国典学んだその後廃藩置県となり、藩士は皆、職務解かれた。君は山梨県官職として務め大蔵収税属に転じ明治十七以降は、鹿児島岐阜熊本三県の収税長を歴任し宇都宮税務管理局長に至った明治三十年、内蔵助調度主事となり、後、東宮主事務めた最後は、内大臣秘書官宮内書記官任務果たした従七位より累進し正五位勲四等叙され瑞宝章賜った。君の天質は敦篤重厚であり、どんな仕事もいい加減にすることはなく、よく思慮して後、発言し行動していた。官職での三十年間は、一度失敗もなく、行いはいつも評判高かった平生より質素倹約努め慈愛をもって人に接していた。人は皆、君子称した明治三十五年二月二十二日、病のため東京青山自宅倒れ五十六歳で青山霊園に眠ることとなった戒名仁壽院行譽單直慈愍居士。君は葉山氏の娘を娶り、四人男子授かった長男は薫。次男文雄残念ながら幼くして夭した。その後三郎四郎生まれた。他に二人の女子を授かった。君と交友すること二十年、君は突然、冥土へと旅立ってしまった。このことを思うと、今も、心が晴れ晴れすることはない。君の一周忌長男の薫が訪ねてきて墓碑の銘を依頼された。道義上、断ることができず、生前の君を思い起こし、ここに記す。「君は人を思いやる心が篤くどっしり落ち着き、厚みのある人だった。職務にあっては素直さ質朴さが表れていた。声や容姿は、うっとり心を奪われる様だった。ああ、青山のこの地は、墓所として落ち着いたよい場所で、どこからともなく鳴き声聞こえてくる。遠くに目をやれば、夕暮れ蒼々たなびいている。」明治三十六年二月 内蔵頭従三位勲一等男爵 渡邊千秋ならびに書す

※この「墓碑銘」の解説は、「中田直慈」の解説の一部です。
「墓碑銘」を含む「中田直慈」の記事については、「中田直慈」の概要を参照ください。

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墓碑銘

出典:『Wiktionary』 (2021/08/28 03:42 UTC 版)

名詞

ぼひめい

  1. 墓碑彫りこんだ死者経歴事績などの文句エピタフ

翻訳


「墓碑銘」の例文・使い方・用例・文例

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