新聞人とは? わかりやすく解説

新聞人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 09:52 UTC 版)

仮名垣魯文」の記事における「新聞人」の解説

この頃戯作本は新聞に取ってわられるようになり、1873年横浜移って神奈川県庁月給二十円で勤める。売薬業続け、妻には新聞縦覧所経営させていた。並行して横浜毎日新聞』に寄稿していたが、1874年県庁辞めて横浜毎日社員雑報記者となり、翌年に『読売新聞』や『平仮名絵入新聞』と同じよう庶民向けの新聞として、自ら『仮名読新聞』を創刊その後書肆磯部屋などを資本主として東京移した芸妓内幕についての記事猫々奇聞」「晒落誌」が喜ばれ新聞劇評載せたことの嚆矢でもあった。平仮名中心紙面は、後の口語体新聞先駆けとなった文の続き物は『花裳柳絮綻(はなごろもやなぎのいとほころび)』『夜嵐於衣花仇夢(よあらしおきぬはなのあだゆめ)』などの実話小説となり、挿絵は、猩々暁斎名乗った河鍋暁斎描いていた。1879年高橋お伝死刑があり、文はこれを実話小説高橋お伝のはなし」と題して仮名読』に連載し、『高橋阿伝夜刃譚』として刊行した次いで『いろは新聞社長1884年今日新聞創刊し主筆となる。 晩年玩物居士号して古仏像や仏具蒐集して骨董にも鑑識眼持ち、またしばしば書画会を催して収入得た1890年両国中村文壇退隠の名納め会開き所蔵する書画骨董書翰一千点を来会者に配ったその後都々逸選者をしたり、狂歌民謡作る弟子集まり「いろは連」を戯作者など47人で組織劇通で『歌舞伎新報』でも記事執筆した。酒は少しで、甘い物も食べず天麩羅ももんじ屋猪肉好物芸妓を「」、九代目市川団十郎を「団洲」、新史劇を「活歴」と呼ぶ名付け親でもある。 1894年新富町自宅で没。戒名仏骨庵独居士谷中永久寺葬られた。辞世狂歌に「快く寝たそのまま置き炬燵生け炭団の灰となるまで」。門人に、二世花笠文京渡辺義方)、採香(広岡豊大郎)、胡蝶若菜若菜貞爾)、蘭省花時三浦義方)、二世一筆庵可候(富田一郎)、野崎左文斎藤緑雨がいて、当時新聞小説家は大きくこの仮名垣派と、柳亭種彦門流亭派に二分されていた。野崎左文書いた伝記仮名反故」(『列伝体小説史』所収)がある。

※この「新聞人」の解説は、「仮名垣魯文」の解説の一部です。
「新聞人」を含む「仮名垣魯文」の記事については、「仮名垣魯文」の概要を参照ください。

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