映画女優(帝国キネマ・東邦映画)〜再び舞台へ
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1924年11月、小唄映画『籠の鳥』が記録的大ヒットを記録した帝国キネマが、各社の看板スターの引き抜きを画策すると、信子もこれに応じ、正邦宏・小沢得二らとともに帝キネに移籍。正邦・小沢とのトリオで『情火渦巻く』(1924年)、『勇敢なる弱者』(同)、『女夫涙』(1925年)を立て続けに撮るが、帝キネは1925年3月に分裂。その後正邦・小沢らとともに、東邦映画に参加。『信天翁』(山上紀夫監督)に主演した他、『四谷怪談』(同)でもお岩・お梅の二役を熱演するが、間もなく東邦映画は解散。 これを機に舞台に戻り、1925年7月の曾我廼家五九郎一座の邦楽座での公演『奥様』などに出演したが、五九郎との事実無根のスキャンダルを報じられ、大きなダメージを受ける。それから間もなく、夫の高橋義信と「近代座」を結成。8月に東京・丸の内の邦楽座で『その妹』、『灼熱の恋』、『高橋お伝』を出し物に旗揚げする。11月からは蒲田時代の当たり役でもあった『嬰児殺し』、『灼熱の恋』を持って関西地方を巡演する。この間、中央映画社に招かれ、同社の第一回作品『高橋お伝』前後編で高橋義信と伊志井寛を相手にタイトルロールを演じる。
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