塩地蔵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 17:52 UTC 版)
次のような言い伝えが残っている。 昔、妻に先立たれた浪人が幼い2人の娘とともに旅をしていたところ、この地で病に倒れた。嘆く娘たちはある日の夜、夢枕に地蔵菩薩を見る。そのときのお告げに従い、塩断ちをして地蔵堂に祈る娘たちの願いは叶い、父の病は快癒する。喜んだ娘たちはたくさんの塩と線香を奉納し、のちには浪人はかつての主家に帰参することも叶い、2人の娘も幸せに暮らしたとのことである。そして、この親子にあやかりたく信仰を篤くした人々は、娘たちに倣って塩と線香を供えるようになったという。 信仰は今も続いており、毎日信心深い人々の訪れが絶えない。堂は今日でいう吉敷町四丁目の鉄道線路敷地内に祀られていたが、線路拡張のため吉敷町一丁目の中仙道沿いに移された。しかしそこで火災に遭い、1921年(大正10年)、現在の吉敷町一丁目に再度移転された。隣に3体の子育て地蔵もある。
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