名所・旧跡・観光施設とは? わかりやすく解説

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名所・旧跡・観光施設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 17:52 UTC 版)

大宮宿」の記事における「名所・旧跡・観光施設」の解説

江戸方から上方へ(この区間では南から北へ)、おおよそ道なりに記す。 大宮宿 武蔵国一宮石柱所在地さいたま市大宮区吉敷町2-9氷川神社一の鳥居 :「#氷川神社参照所在地は上に同じ。 安藤橋碑、伝・安藤弾正墓碑 :「#安藤橋参照所在地大宮区吉敷町1-103。 塩地蔵 :「#塩地蔵参照所在地大宮区吉敷町一丁目涙橋(中之)跡 :「#涙橋(中之)」参照所在地大宮区下町2-29。 (紀州鷹場本陣):「#紀州鷹場本陣参照。 (臼倉新右衛門家・本陣):文政年間1818- 1830年以前、臼倉新右衛門代々務めていた本陣現存せず(現・キムラヤベーカリー)。 (山崎喜左衛門家・本陣):臼倉新右衛門の後を受けて文政年間以降代々本陣務めた山崎喜左衛門屋敷現存せず(現・岩井ビル)。 東光寺 :「#東光寺参照所在地大宮区宮町3-6栗原家持仏堂大宮宿にて脇本陣3つ営んでいた 栗原氏阿弥陀堂持仏堂栗原堂、御影堂〈ごえい-どう〉とも称)がある。栗原内記とその妻の木彫坐像安置されている。所在地大宮区宮町4-122。 さいたま市立博物館浦和宿大宮宿に関する展示あり。 氷川神社武州六大明神一つである、武蔵国一宮名神大社。「#氷川神社」も参照所在地大宮区高鼻町1-407。 大宮宿以北 土手町椎の木旅路目印として植えられていた2本の大木が今も青々とを茂らせている。所在地大宮区土手町1-29氷川神社裏参道石柱 :「官幣大社 氷川神社」と刻まれ石柱大山御嶽山道標おおやま-みたけさん-どうひょう):安政7年1860年建立道標で、「大山 御嶽山 よの 引又 かわ越道」と刻まれている。すなわち、相模大山および大山阿夫利神社と、御岳山東京都青梅市)、近隣与野(現・さいたま市中央区)、引又(ひきまた。現・志木市)、そして、交易地として栄えていた川越への道を案内するものであった。なお、大山詣では、男子15 - 20歳になると一人前と見なされ、大人とともに参拝する習わしとなっていた。所在地北区東大成町一丁目八百姫大明神(やおひめ-だいみょうじん):嘉永7年1854年)に再建されたと伝えられる八百姫大明神」の石碑小堂納められている。八百姫とは、人魚の肉を食べて800歳まで生きたという、いわゆる八百比丘尼(やお-びくに)」のことであり、当地にしばらく滞在していたとの伝説残っている。所在地北区植竹町1-197。 石上神社いそのかみ-じんじゃ):中山道筋から西へ横道入った所に小さな祠がある。疱瘡ほうそう)の神としてその禍(わざわい)から逃れられるよう信仰されたもので、太平洋戦争前までは露店が出るほどの賑わいであったという。所在地北区東大成町二丁目馬頭観音三界霊塔 :所在地北区東大成町二丁目東大成の庚申塔 :「#東大成の庚申塔」と右上画像および解説文を参照のこと。所在地は上に同じ。 加茂神社天神橋の立場別項上尾宿」にて記述する

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名所・旧跡・観光施設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 01:10 UTC 版)

坂越」の記事における「名所・旧跡・観光施設」の解説

坂越の古い町並み都市景観100選日本遺産構成文化財生島樹林 (国の天然記念物日本遺産構成文化財瀬戸内海国立公園ひょうごの森百選秦河勝の墓 宝珠山 - 宝珠山茶臼山登山道ウォーキングコース)/宝珠山八十八箇所霊場大避神社-坂越の船祭り(国指定重要無形民俗文化財瀬戸内海三大船祭り)。2018年平成30年4月祭礼と共に日本最古級と云われる船絵馬などの神社奉納物が日本遺産構成文化財認定された。 妙見寺観音堂薬師堂奥の院)- 創建8世紀中期頃、行基によって開山されたとする真言宗仏教寺院『太平記』登場する児島高徳ゆかりの寺として知られる宝珠山中腹にある観音堂からの坂越浦眺め絶景宝珠山霊場大避神社妙見寺併せ坂越パワースポットとして人気妙道寺 - 創建1532年享禄5年/天文元年)で、開基者は学西とされる浄土真宗本願寺派仏教寺院坂越初めての寺子屋和田備後守範長公一族五霊位の墓 船岡園 - 1914年大正3年)に、南北朝時代内乱新田義貞と共に足利尊氏戦った南朝の忠臣児島高徳550年忌を記念して開設され公園園内にある高徳の墓の傍らには、彼を崇拝して日清・日露戦争指揮を執った海軍司令官東郷平八郎石碑建てられている。赤穂名勝地でもある。 児島高徳朝臣の墓 - 遥拝所 小倉御前小倉宮)の墓 - 石茶臼山城跡 - 嘉吉年間(1441~44年)に山名持豊によって築かれ城跡で、嘉吉の乱1441年/嘉吉元年)で赤松氏滅亡させたのち暫くこの城に駐屯していたとされる坂越浦城(坂越浦砦・坂越城)跡 - 享徳3年1454年山名持豊によって築かれたと云われる城跡明応4年1495年)、龍野城赤松村秀通城となり、江戸時代には赤穂藩御番所置かれていた。その後1963年昭和38年)に現校舎移転するまで坂越小学校があり、一時1000人を超える生徒数誇った天神岩 辰巳柳太郎生家 - 顕彰碑「夢」 坂越大道 - 千種川高瀬舟船着き場坂越の港を結ぶ通り通り両側には、坂越で最も往時面影を残す美し町並みが続く。近年古民家活用したカフェ人気スイーツ店が出店赤穂新し観光スポットになっている坂越まち並み館(旧奥銀行) - (日本遺産構成文化財旧坂越浦会所(観海楼) - (日本遺産構成文化財奥藤酒造郷土館 木戸門とうろん黒崎墓所日本遺産構成文化財兵庫県指定史跡)-「他所三昧」「船三昧」とも呼ばれ宝永7年1710年)から嘉永元年1840年)頃にかけて、坂越浦海域航海中に海難病気などによって客死した人々集団墓地出羽肥前薩摩など、北は秋田、南は種子島、東は伊豆、西は対馬に至るまでの国内29カ国、約130人が葬られている。現在は大小さまざまな石質からなる墓碑、約60基が残る。 みかんのへた山古墳兵庫県指定史跡)- 古墳時代中期5世紀)に造られ大型円墳直径38メートル、高さ4.5メートル)で、坂越浦鍋島を見下ろす丘陵頂上位置し墳丘には葺石施されている。名称の由来は、形状ヘタ)が付いた蜜柑似ているからとされる坂越大泊鉱山跡 - 自然金の他、輝銀、輝、マッキンストリー、ナウマン、ジャルパ、ファマチナ、アグイラ、雑銀、濃紅銀、石英、黄などの鉱物確認されている、丸山(アース製薬坂越工場背後にある)の中腹に残る鉱山跡。1959年昭和34年採掘開始1974年昭和50年閉山初期ロウ石を主に採掘していたが、鉱石から高品位の金が確認された後は、国内有望の金鉱脈として「昭和ゴールドラッシュ」「瀬戸内金山」として脚光を浴びた10年余りその役割終えたが、2016年平成28年)に赤穂市全体火山の噴火による国内最大規模カルデラ地形内であることが判明、現在でも残るホッパーなどの鉱山産業遺構再評価されている。 海の駅しおさい市場牡蠣料理くいどうらく瀬戸内海鮮・おみやげ処「おうみや」 坂越かき直販所 - 赤穂市漁業協同組合運営する坂越かきの直販所天塩スタジオ 赤穂 - 塩や味噌造りなどの体験教室や、食育セミナーなどを通して和食文化発信にと、2016年平成28年5月坂越本社内にオープンしたキッチン付きイベントスペース2015年平成27年10月オープンした天塩スタジオ東京続いて2ヵ所目の施設レンタルスペースとしての貸し出しもある。予約制坂越緞通工房 - 赤穂緞通技法伝承製作している個人工房見学事前に問合せが必要。

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名所・旧跡・観光施設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 03:08 UTC 版)

蕨宿」の記事における「名所・旧跡・観光施設」の解説

江戸方から上方へ、おおよそ道なりに記す。 戸田 戸田の渡し場の跡 :戸田の渡し場跡碑、その他あり。「#戸田の渡し場参照蕨宿 旧・中山道道筋国道17号線戸田市から蕨市に入るあたりから、当時蕨宿にあたる地域である。かつての中山道は、17号線北東側60mにこの国道並走するかたちで残されている。「#現代の交通」にては箇条書き長泉院真言宗霊雲寺派。宝暦3年1753年)の創建。 (脇本陣岡田新〉):※今は何も残っていない。 蕨市歴史民俗資料館 :「#外部リンク参照所在地蕨市中央5丁目17-22。 一の本陣跡 :岡田兵衛による一の本陣現存しないものの、昭和48年1973年建築の、建築家谷口吉郎による本陣風のモニュメント今日ある。所在地:上に同じ。 (本陣岡田五郎兵衛〉):※痕跡なし。 和楽備(わらび)神社戦国時代渋川氏蕨城守護神として八幡神社を奉斎したのが始まり伝える。江戸時代には「八幡」「上之宮」と呼ばれ、「中之宮」(氷川社)、「下之宮」(氷川社とともに蕨宿鎮守として重きをなした。明治44年1911年12月15日町内18社の合祀にともない和樂備(和楽備)神社」と改号蕨城址 :「#蕨郷および蕨宿の歴史参照所在地蕨市中央4丁目20和楽備神社の南)。 せんべい萬寿屋 :店舗新築されているが、昔は茶屋商って10代数え老舗であった三学院真言宗智山派新義真言宗系)の古刹金亀極楽寺三学院元亀(1570- 1572年以前創建との伝。本尊十一面観音菩薩立像木造)で、平安中期慈覚大師の作といわれる近世以前より関東七ヶ寺の一つ所在地蕨市北町3丁目2。 徳丸家の跳ね橋 :「#蕨宿の特徴参照三学院出た街道裏にあり(北緯3549分43.5秒 東経13940分33.6秒 / 北緯35.828750度 東経139.676000度 / 35.828750; 139.676000 (徳丸家の跳ね橋))。 辻 辻一里塚の跡 :「#一里塚」「#中山道一里塚参照熊野神社熊野三山より熊野権現勧請受けた一社で、辻郷の鎮守地元では「おくまさま」の愛称親しまれてきた。文化2年1805年)に編まれた『木曽路名所図会』の中に辻村熊野権現のやしろあり」との記述見える。

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名所・旧跡・観光施設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 18:54 UTC 版)

上尾宿」の記事における「名所・旧跡・観光施設」の解説

江戸方から上方へ(この区間では南から北へ)、おおよそ道なりに記す。 加茂宮加茂宮)、等 天神橋の立場 :「#天神橋の立場参照。※右上画像解説文 も参照所在地は、さいたま市北区宮原町2丁目(「天神橋バス停そば)。 天満宮 :「#天神橋の立場参照所在地北区宮原町4丁目(「天神橋バス停そば)。 加茂神社 :「#加茂神社参照。※右上画像解説文 も参照所在地北区宮原町4-8-1馬頭観音 川越追分川越道は現在の国道16号南方(みなかた)神社吉野村鎮守で『五街道中細見独案内』にも諏訪社として登場する地元では「お諏訪さま」の名で親しまれている。 魂霊社 庚申塔青面金剛像の庚申塔道標兼ねており、「是従 秋葉へ壱里十二町 ひら方へ壱里八町 川越三里 (訳:これより、秋葉へ1里12町、平方へ1里8町、川越へ3里)」と刻まれている。西進する秋葉(旧・秋葉通り)から平方河岸(現・平方地区)を越えて川越に至る。所在地上尾市栄町1(「馬喰新田バス停そば)。 愛宕神社 岩槻追分川越追分 上尾宿上尾の一里塚) :「#上尾の一里塚参照痕跡なし。所在地上尾市愛宕1-28。 (細井脇本陣) :細井弥一郎家が代々務めた痕跡なし。所在地上尾市仲町1-7氷川鍬神社の南、あさひ銀行)。 氷川鍬神社 :「#氷川鍬神社参照所在地上尾市宮本町1。二賢堂址 :天明8年1788年建立学問所があった。二賢とはこの学者祀っていた菅原道真朱文公を指す。 (白石脇本陣) :白石左衛門家が代々務めた痕跡もなし。所在地上尾市仲町1-7氷川鍬神社向かい、南寄り)。 (本陣〉) :林八郎右衛門家が代々務めた本陣痕跡なし。所在地は上に同じ。 (井上脇本陣) :井上五郎右衛門家が代々務めた当時大きな屋根瓦一部を塀にして残している。所在地仲町1-7氷川鍬神社向かい北寄り)。 日乗山秀善寺遍照院真言宗智山派古刹室町時代創建で、本尊不動明王遊女お玉の墓がある。所在地上尾市上町1-6旧街道から東へ100m)。遊女お玉の墓 :「#遊女・お玉参照上町庚申塔 上尾宿案内板 久保 元・武紅花仲買問屋須田家) :別項桶川宿」にて記述する雷電神社 :上に同じ。

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名所・旧跡・観光施設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 01:00 UTC 版)

迪化街」の記事における「名所・旧跡・観光施設」の解説

乾物問屋が多いとされる迪化街であるが、以下のような名所旧跡および観光施設存在する霞海城隍廟 1856年創建月下老人ばかりがやたらと有名であるが、他にも城隍爺とその夫人義勇公、註生娘娘、媽祖菩薩、七爺と八爺、など600上の神が一堂に会する台湾では神像密度の最も高い古廟」。 永楽市場 1階生鮮市場飲食店2階には生地販売する複数テナント入り3階には仕立屋がいて縫製依頼できる。 民藝埕 1913年建設され建物1階雑貨屋で、2階南街得意という名のカフェ小藝埕 永楽市場向かい立地。元は薬局だったが火災台湾中部大震災影響損壊修復して後は書店カフェ、デザイナーズショップ、多目的スペースといったテナントが入る施設となった聯藝埕 書店宿泊施設テナントのほか、雑貨屋、フルーツショップ、カフェレストランが入る施設

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