氷川鍬神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/08 07:48 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動氷川鍬神社 | |
---|---|
| |
所在地 | 埼玉県上尾市宮本町1-14 |
位置 |
北緯35度58分21秒 東経139度35分24秒座標: 北緯35度58分21秒 東経139度35分24秒 |
主祭神 | 稲田姫命、豊鍬入姫命 |
社格等 | 村社 |
創建 | 寛永9年(1632年) |
別名 | 御鍬太神宮 |
例祭 | 7月14日に近い土曜日曜 |
地図 |
氷川鍬神社(ひかわくわじんじゃ)は埼玉県上尾市にある神社である。 上尾宿の鎮守で、地元では「お鍬さま」と呼ばれて親しまれている。旧社格は村社。
祭神
稲田姫命(いなだひめのみこと)、豊鍬入姫命(とよくわいりひめのみこと)
歴史
伝説によれば、寛永8年(1631年)桶川宿方より来た童子が引いていた櫃が上尾宿本陣前で動かなくなり、童子はいずこかへ消え失せた。 翌正月に櫃を開けてみると、鍬2本と稲穂があり、鍬2本を神体として本陣前に社を建立して祀ったのが創建の経緯と伝えられる[1]。 稲穂は「御子稲」と称し、種を増やして庶民に分け与えた。
長く、御鍬太神宮(おくわだいじんぐう)と呼ばれてきたが、明治41年(1908年)上尾村総鎮守の氷川神社から女体社を合祀し、現社名となった。
社殿・境内
- 上尾郷二賢堂跡
- 天明8年(1788年)に雲室を招いて開かれた学舎・聚正義塾(しゅうせいぎじゅく)の跡。朱子と菅原道真を祀ったことから「二賢堂(じげんどう)」と称された。林大学頭信敬筆の扁額が遺されている。
- 雲室上人生祠碑頌
- 天満宮
祭事・年中行事
文化財
- 上尾郷二賢堂跡が上尾市指定文化財[2]。
交通アクセス
脚注・参考文献
関連項目
外部リンク
- “上尾郷二賢堂跡”. 上尾市ホームページ. 上尾市教育委員会 (2010年11月24日). 2019年10月13日閲覧。
|
氷川鍬神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 18:54 UTC 版)
寛永9年(1632年)創建の氷川鍬神社(ひかわ-くわ-じんじゃ)は上尾宿発祥の地であり、総鎮守である(※社伝に基づく上尾宿の由緒については、別項「氷川鍬神社」内の記述を参照のこと)。鍬祭りとして鍬を祀ったのが由来というこの社は、小さな鍬2丁を神体とし、五穀を司る農業神を祭神とする。「鍬大神宮」「御鍬大明神」と称し、明治41年(1908年)に二ツ宮氷川神社(在・上尾市二ツ宮)の女体社を合祀して現在の社号となった。地元では「お鍬さま」の愛称で親しまれている。
※この「氷川鍬神社」の解説は、「上尾宿」の解説の一部です。
「氷川鍬神社」を含む「上尾宿」の記事については、「上尾宿」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 氷川鍬神社のページへのリンク