千住神社とは? わかりやすく解説

千住神社

読み方:センジュジンジャ(senjujinja)

別名 西森さま

教団 神社本庁

所在 東京都足立区

祭神 須佐之男命 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

千住神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/24 06:10 UTC 版)

千住神社

拝殿
所在地 東京都足立区千住宮元町24-1[1]
位置 北緯35度44分50.7秒 東経139度47分46.4秒 / 北緯35.747417度 東経139.796222度 / 35.747417; 139.796222 (千住神社)座標: 北緯35度44分50.7秒 東経139度47分46.4秒 / 北緯35.747417度 東経139.796222度 / 35.747417; 139.796222 (千住神社)
主祭神 宇迦之御魂命須佐之男命[1]
社格 郷社[1]
創建 延長4年[1]
例祭 9月第2土曜・日曜[1]
地図
千住神社
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千住神社(せんじゅじんじゃ)は、東京都足立区千住宮元町にある神社である。旧称西森神社および千崎稲荷神社。

歴史

千住(千寿)に集落が形成され始めた延長4年(926年)、土地鎮護と五穀豊穣を祈り、伏見稲荷より分霊を勧請し千崎稲荷神社が創建されたと伝える。永承6年(1051年)、源義家奥州征伐の際、荒川(現千住大橋付近)を渡り、二ツ森(現 千住神社)に陣営し、戦勝祈願をしたと古記録に記載されている[2]弘安2年(1279年)、武蔵国一ノ宮氷川神社より分霊を勧請し氷川神社を創立。鎌倉時代より江戸時代にかけて、ここを二ツ森と言っており、旧考録には代々の将軍が二ツ森で鷹狩りを行ったと記録されている。寛永年間に至り、千住が日光街道の第一宿となり、その西方にあることから西の森とも言われた。

明治5年11月18日1872年12月18日)、両社は村社と定められ、翌明治6年(1873年)6月 千崎稲荷神社と氷川神社を合祀して西森神社と名を改めた。明治7年(1874年)7月、区内唯一の郷社と定められる。大正4年(1915年)12月15日、千住神社と改めた。大正12年(1923年)浅間神社を勧請、富士塚を建立した。昭和20年(1945年4月13日 空襲で社殿を焼失。昭和33年(1958年)9月、社殿が再建された[3]

境内社

  • 浅間神社
  • 天満宮
  • 恵比寿神社
  • 八幡神社
  • 三峯神社
  • 延命稲荷
  • 経王稲荷
  • 廻転恵比寿
千寿七福神」の一神。もともと境内末社の恵比寿神社より分霊された。恵比寿像を3回まわし、祈願によって定められた像の部位を白いハンカチで撫でて祈願するという一風変わった参拝の仕方が特徴的。

アクセス

脚注

  1. ^ a b c d e 東京都神社庁.
  2. ^ 足立区立中央図書館 (1977-3-31). 郷土資料 第1集 旧考録. 足立区立中央図書館. pp. 10-11 
  3. ^ 足立区役所 (1959-12-30). 足立区における神社・寺院. 足立区役所. p. 3 

参考文献

  • 千住神社”. 東京都神社庁. 2020年7月20日閲覧。

関連項目

外部サイト




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