陵墓・拝所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 07:37 UTC 版)
ナスの御嶽。奥に舜天王統三代の王を葬ったとされる墓がある。地図 食栄森御嶽。中央が舜天を葬ったとされる墓。地図 沖縄県中頭郡北中城村の仲順(ちゅんじゅん)に、「ナスの御嶽」とよばれる御嶽がある。その中に石垣があり、その奥の岩が当御嶽の本体(イベ)で、さらにその岩の上に、舜天と舜馬順煕の二人の王を葬ったとされるコンクリート製の墓が存在する。また、伝承によれば、義本も葬られているとされ、「ナスの御嶽」は「義本王の墓」とも呼ばれている。 同県南城市字大里の南風原地区に所在する「食栄森(いいむい)御嶽」に、舜天を葬ったとされる墓がある。御嶽の基壇の中央に、頂上に宝珠のついた円筒形の墓があり、周辺住民はこれを「ボーントゥー墓」と呼んでいる。戦前まで、毎年中城御殿の使者も、この墓に拝みに来ていたという。沖縄戦終結直後に、修理をかねて墓の中を調査したところ、人骨と水晶、銅鏡が発見されている。また同字の西原地区に、舜天の母と伝えられる大里按司の妹の墓があり、「ウミナイ御墓」と呼ばれる。 崇元寺に、舜天から尚泰王までの歴代琉球国王の位牌が祀られていたが、沖縄戦により建物は焼失した。また、そこに舜天のものと言われる鏑矢が保管されていたという。浦添城東端部に位置する「為朝岩(ためともいわ)」と呼ばれる岩は、舜天と英祖の子息を祀った拝所となっている。
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