辞令書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/03/01 00:56 UTC 版)
辞令書(じれいしょ)とは、琉球王国において用いられた任職文書。国王の名で発給され、都である首里にちなんだ「首里之印」と呼ばれる朱印が押されていたことから、御朱印・御印判とも称された。
概要
尚真王期の16世紀前半から琉球処分までの期間に用いられていたとされ、古文書学上では薩摩藩の琉球侵攻(1609年)と羽地朝秀の行政改革(1666年)を画期として「古琉球辞令書」「過渡期辞令書」「近世琉球辞令書」に分けられている。書体は古琉球辞令書は仮名文字がほとんどであるのに対して、過渡期辞令書には漢字仮名交じり体となり、近世琉球辞令書になるとほとんど漢字が用いられている。また、古琉球辞令書は奄美地方でも見られるものの薩摩藩によって支配権を喪失した過渡期辞令書以後の辞令書が確認されない、近世琉球辞令書になると発給対象が中央の上級官職にのみに限定されていくなどの変化も生じている。
琉球王国の行政組織や役人の活動ぶりなどを知る上で貴重な史料とされており、研究の対象とされている。
参考文献
- 高良倉吉「辞令書」(『日本史大事典 3』平凡社、1993年 ISBN 4-582-13103-4)
- 高良倉吉「辞令書」(『日本歴史大事典 2』小学館、2000年 ISBN 4-095-23002-9)
辞令書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 07:19 UTC 版)
任官・授爵・叙位・叙勲のうち、天皇自ら行う親任・親授の辞令書は詔勅の形をとった。 官記(任官辞令書)のうち、天皇が親任式を行って任命する官(親任官)の官記には、御名御璽の後、原則として内閣総理大臣が副署した。内閣総理大臣以外が副署する例外は次の通り。 内閣総理大臣の官記には他の国務大臣か内大臣が副署した。この官記には国務大臣が副署するのが常則であったが、国務大臣が不在の場合には、国務大臣でない内大臣が単独で副署することがありえる規定であった。この規定は国務大臣が皆「故障」した場合に備えての「便法」とされていた。もっとも、実際の運用では、内閣総辞職の場合であっても、一人の国務大臣が一時留任し、新任の内閣総理大臣の官記に副署した後に辞任することを慣例としていた。 宮内官の官記には宮内大臣が副署した。 宮内大臣の官記には内大臣が副署した。 爵記(授爵辞令書)は、御名御璽の後、宮内大臣が副署した。これは公式令制定前からの慣例であった。 位記(叙位辞令書)のうち一位の位記には、御名御璽の後、宮内大臣が副署した。これは一位が天皇から親授されるものであるからとされた。 勲記(叙勲辞令書)のうち、親授の勲章の勲記は、御名国璽(御璽ではない)の後、内閣総理大臣が奉じて賞勲局総裁に署名させた。大臣みずから副署せず、賞勲局総裁に署名させたのは、フランスのレジオンドヌール勲章の制度に倣ったもので、公式令制定前からの慣例であった。1904年の公式令草案は、叙勲は大権の施行なのでこの慣例は妥当でないが、いま急に変えると叙勲の実務に支障をきたすので当面は慣例のままにとどめ、いつか修正すべきであると主張していた。詔勅たる親授の勲記の範囲については、1907年公式令制定時は勳一等功三級以上、1921年公式令改正後は勳二等功三級以上、1940年公式令改正後は勳一等功二級以上、というように範囲が狭くなっていった。
※この「辞令書」の解説は、「詔勅」の解説の一部です。
「辞令書」を含む「詔勅」の記事については、「詔勅」の概要を参照ください。
「辞令書」の例文・使い方・用例・文例
- 辞令書のページへのリンク