世界遺産への歩み
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2007年(平成19年)、長崎県が世界遺産登録推進会議と世界遺産学術会議を発足させ、翌年には近隣県の関連資産の検討を始めたことをうけ、天草市が教育委員会文化課内に登録推進室を設置(この時点では集落ではなく﨑津教会が対象)。 2009年(平成21年)、重要文化的景観に申請した「﨑津の文化的景観」と「大江の文化的景観」を長崎の二会議が﨑津教会とは別の資産候補として扱うことを検討。 2011年(平成23年)、﨑津地区が重要文化的景観に選定。 2013年(平成24年)、長崎県が正式な構成資産12ヶ所を確定したが、﨑津教会は文化財未指定で2004年(平成16年)に修復が行われ文化資材の真正性(英語版)の欠如や信徒の同意が得られていないこともあり、候補には含まれなかった。 2014年(平成26年)、文化庁文化審議会により「天草の﨑津集落」として構成資産に追加決定。7月10日、長崎の教会群とキリスト教関連遺産が2016年の登録審査の正式候補となる。11月6日、バチカン市国・ユネスコ代表部大使のフランチェスコ・フォロ(フランス語版)氏が﨑津を訪問して、﨑津教会のみならず﨑津諏訪神社にも参拝し、世界遺産登録を応援することを約束。 2015年(平成27年)1月22日、推薦書を世界遺産センターへ提出。9月28日、ユネスコの委託を受けた国際記念物遺跡会議(ICOMOS)調査員(フィリピン人建築家ルネ・ルイス・S・マタ氏)による﨑津の現地調査実施。11月に現地調査の結果を精査するICOMOS内部の報告会に同席した文化庁職員が、「教会群の価値は潜在的に認めるが、禁教期の集落(補:﨑津と平戸島の春日集落)のように世界的にも稀有な長期の潜伏信仰という事象を反映していない」との指摘をうける。 2016年(平成28年)2月9日、同年1月15日付で通知された「推薦内容を禁教期重視に見直すべき」とのICOMOSから中間報告をうけ、﨑津集落を含み推薦を取り下げることが閣議了解。教会建築を主としてきた長崎県の構成資産は﨑津集落を手本に集落景観へと置き換え、法的保護根拠も重要文化的景観を主体とすることにした。7月25日、再推薦することが決定。 2017年(平成29年)2月1日、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」と名称を改め、﨑津集落を含み再推薦が行われた。9月6日、ユネスコの委託を受けたオーストラリア・イコモス(英語版)の調査員リチャード・マッケイ氏による﨑津の現地調査実施。 2018年5月4日、ICOMOSによる登録勧告が出される。同年6月30日、登録が決定。
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