世界遺産への動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 10:05 UTC 版)
街路や水路、武家建築、町家建築、寺社建築、御船倉や藩校などの建築物が多く遺存しており、各年代の多様な建築物が重層的に残っていることから、2006年に「萩―日本の近世社会を切り拓いた城下町の顕著な都市遺産」として世界遺産暫定リストへの記載が提案されたが、「世界史的・国際的な観点から、近世日本の城下町の様相が遺存する都市遺産の代表例」という提案理由に対して「典型例として、本資産が顕著な普遍的価値を持つことの証明が不十分」とされ、暫定リストへの記載は見送られたが、「他の同種資産と組み合わせることにより、顕著な普遍的価値を証明し得る可能性について検討すべきものとして評価できる」とされた。2007年に「九州・山口の近代化産業遺産群―非西洋世界における近代化の先駆け」の構成資産として、文化庁へ再度提案が行われ、2009年に暫定リスト入り、萩市内の資産として萩反射炉、恵美須ヶ鼻造船所跡、松下村塾が記載された。2009年に開催された専門家によるシンポジウムの結果を受けて「萩城下町」が新たに記載された。2014年に世界遺産への推薦が決定、2015年の第39回世界遺産委員会において「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業として世界遺産に登録が決定した。
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