世界遺産への登録経緯とは? わかりやすく解説

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世界遺産への登録経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 16:55 UTC 版)

白川郷・五箇山の合掌造り集落」の記事における「世界遺産への登録経緯」の解説

日本世界遺産条約批准した1992年平成4年)に、10件の文化遺産と2件の自然遺産世界遺産暫定リスト掲載した。「白川郷・五箇山の合掌造り集落」は、そのうち一つである。1994年平成6年9月推薦書ユネスコの世界遺産センター提出された。なお、史跡になっていた相倉集落菅沼集落は、世界遺産登録見据えて1994年平成6年12月重要伝統的建造物群保存地区として選定された。 日本政府推薦理由として、日本木造建築群の中でもきわめて特異な要素、すなわち急勾配屋根屋根裏積極的な産業的活用など備えていることや、そのような集落が、それを支え伝統的な大家族制などとともに稀少なものになってきており、保護必要性があることなどを挙げていた。また、日本では法隆寺地域の仏教建造物」「古都京都の文化財」に次ぐ3例目のシリアルノミネーションとなったことについては、それが合掌造り地域的な広がりを示すものであるとともに地域ごとの差異を示す上で好適とした。 普通、世界遺産推薦当たって国内国外類似の物件との比較研究を行う必要があるが、日本政府は木を重んじる文化的伝統を持つ国内でも特殊なものであるとし、ブルーノ・タウト評価など引用してはいたが、他の物件との具体的な比較は示さなかった。この点については、ICOMOS評価でも最終的に問題とされず、そのまま受け入れられている。なお、ICOMOS勧告書は、ビューロー会議時点では白川郷のみの登録を勧告していたが、ビューロー五箇山の登録も認められ勧告書が修正されたという。 1995年平成7年12月第19回世界遺産委員会ベルリン)で初め審議され世界遺産リストへの登録が認められた。人が住み続けている村落世界遺産登録されたのは、ホッローケーハンガリー1987年)、ヴルコリニェツスロバキア1993年)に続いて3件目だった。

※この「世界遺産への登録経緯」の解説は、「白川郷・五箇山の合掌造り集落」の解説の一部です。
「世界遺産への登録経緯」を含む「白川郷・五箇山の合掌造り集落」の記事については、「白川郷・五箇山の合掌造り集落」の概要を参照ください。

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