建物の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 16:12 UTC 版)
御幸の間 堀口捨己設計の16畳の和室。西面には4間の杉の面皮の床框(とこがまち)を据え、中央を床(とこ)、左右を床脇とする。南面は付書院を設け、桂離宮の笑意軒にならった丸窓を設ける。北側の次の間境の襖は摺箔(能装束)の裂を貼り合わせて山水を表現している。天井は、南北軸の中央に一直線に障子を嵌め、その左右は棹縁天井とする。照明器具は直接見えないように天井裏に設置され、前述の障子を通して室内を照らす。その左右の天井は場所によって棹縁の向きを変え、非対称のデザインになっている。 残月の間 「御幸の間」と同じ棟にある、堀口捨己設計の10畳の和室。表千家の茶室「残月の間」の写しである。北面の西側は床高を高めて2畳の上段とし、北面の東側には付書院を設ける。
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建物の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 06:39 UTC 版)
2011年(平成23年)3月に竣工した富士吉田市民会館の1・2階にある。図書館部分の面積は1,630m2。 設計は石本建築事務所、施工は川上建設・富士ハウス工業共同企業体および三和建設・池上工務所共同企業体による。外壁には色味を抑えた還元ボーダータイルとカーテンウォール素材を使用、内装には白いタイルを用いている。 1階に児童書架、おはなしのへや、一般書架、総合カウンターを、2階に参考図書・郷土資料・雑誌・新聞の各コーナー、学習スペース、グループ学習室、閉架書庫を配置する。
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建物の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:08 UTC 版)
着工: 1919年(大正8年)3月5日 竣工: 1926年(大正15年)10月22日 鉄筋コンクリート2階建て。面積: 延べ4700 m2。 高さ: 約32 m(ドームの頂上部) 幅: 約112 m 奥行き: 約34 m。 設計原案: 小林正紹(公募による選定) 実施設計: 高橋貞太郎、小林政一 設計は公募による建築設計競技(1918年実施)で1等となった大蔵省臨時建築部技手小林正紹の案がもとになっている。佐野利器の指導のもと、明治神宮造営局の高橋貞太郎が設計をまとめ、後任の小林政一が完成させた。 外観は花崗岩貼り、中央に径15メートルのドームを戴く左右対称の構成とし、当時流行のセセッション風の重厚な意匠でまとめている。内部中央の大広間の装飾は、床に大理石とモザイクタイル、壁面に色変わりの大理石と石膏彫刻、天井に石膏彫刻を用いている。同時期に建設された明治神宮宝物殿が鉄筋コンクリート造ながら外観は伝統的木造建築のそれを忠実に再現しているのとは対照的に、この絵画館には当時最新式の西洋の技術と意匠が用いられている。これら両建築の様式の違いは、日本の近代化の象徴であるとともに伝統文化の継承者でもあるという明治天皇の二面性を象徴するものだといわれている。 建物は2011年(平成23年)に重要文化財に指定。絵画館のほか、以下の物件が重要文化財の附(つけたり)として指定されている。 葬場殿趾円壇 - 絵画館の裏手にある 角池(壁面蛇口付、外周路地を含む) - 絵画館正面にあり、1959年(昭和34年)から3年間「かっぱ天国」という名で子供用プールとして使用された。 丸池(噴水付、腰掛4台を含む) - 神宮外苑のイチョウ並木の終点付近にある
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建物の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 08:26 UTC 版)
建物は切妻造平入。正面横20間(約40メートル)、奥行9間(約16メートル)。付属の建物を含めた床面積約540平方メートル。槫板葺石置屋根である。窓は格子窓。一部紙障子である。封建体制の身分制度を反映し、床の間着きの上座敷や勤番侍の座敷、入り口近くには使用人用の板張りの部屋、上・下台所、等になっている。 建築年次は特定されていないが、場所請負人林長左衛門(屋号は<ヤマジョウ>竹屋)が嘉永6年(1853年)に改築した折の図面が林家に伝承されており、その図面に従って昭和54年(1979年)12月に今の姿に復元された。多くの運上家が明治以後、番家や倉庫に転用され、ニシン漁が不振になるに従い、番屋の機能を失い朽ちるに任せるようになった。下ヨイチ運上家も同じような経路をたどって一時は借家として数家族が生活していたが、昭和40年頃林家から余市町に寄付された。多くの記事がニシンゴテンとして紹介しているが、運上家は実用第一で建設されており、いわゆる贅を尽くした鰊御殿ではない[要出典]。
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建物の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/30 06:26 UTC 版)
飛騨市神岡振興事務所の1階に設置されている。旧神岡町役場である神岡振興事務所は神岡鉱山の最盛期であった1978年(昭和53年)5月に地上4階建ての庁舎として建設された。設計者は磯崎新である。2009年(平成21年)5月までは3階に飛騨市教育委員会が置かれていたが古川町に移転し、以降は残った機能を1階にほぼ集約し、上階は空きが目立った。同年6月に市民ら19人で組織された検討委員会に有効利用策を諮り、2010年(平成22年)3月に報告書がまとめられた。その中に神岡図書館を移転する案が盛り込まれていたものの、飛騨市は財政難を理由に一旦は棚上げした。 その後2014年(平成26年)に神岡振興事務所の耐震工事を行うことが決まり、総工費3億5600万円をかけた工事が2016年(平成28年)春に完了、6月4日に移転開館した。図書館部分の床面積は840m2で、独立館時代の2倍に広がった。
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建物の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 23:28 UTC 版)
現行館は1981年(昭和56年)4月に利用を開始した。延床面積は2,952m2。道路を挟んで向かい合う鈴鹿市文化会館とともに、鈴鹿市の文教地区を形成する。 図書館は2階建てで、1階に一般閲覧室、児童閲覧室、おはなしのへや、身体障害者・高齢者向け図書のある特別閲覧室、中高生向け図書のあるティーンズコーナー、廃棄図書を来館者が自由に持ち帰れる図書リサイクルコーナー、市民が図書を持ち寄るフリーライブラリーなど、2階に参考図書室、新聞閲覧室、郷土資料室、学習室、視聴覚室、ボランティアルームなどがある。
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建物の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 06:48 UTC 版)
構造:煉瓦造平屋、瓦葺き 様式・意匠:平面は三廊式バシリカ型、内部は木造円柱で身廊と側廊に区切り、天井はリブ・ヴォールト天井とする 設計・施工:鉄川与助 青砂ヶ浦天主堂は、長崎県を中心に数多くの教会堂建築を手がけた鉄川与助が建てた3つ目の教会堂であり、煉瓦造りの教会としては2つ目となる。ユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決まった「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する教会の一つであったが、構成資産の見直しにより外され、「世界遺産の構成資産と一体的に保存・継承していく資産」とされている。 平面規模は間口11.3メートル、奥行23.4メートル。外壁はイギリス煉瓦積。西側正面は3層に区切り、バラ窓や縦長のアーチを設ける。正面入口左右には柱頭に葉形装飾のある円柱があり、その上部を尖頭アーチとする。内部はアーケード(連続アーチとそれを支える柱列)によって身廊と左右の側廊に分け、身廊、側廊ともに天井は四分割リブ・ヴォールトとする。内部壁面は漆喰塗で、側廊窓にはステンドグラスを設ける。この天主堂は内外ともに意匠が優れ、日本人の手になる初期煉瓦造キリスト教建築の代表的作品の一つである。
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建物の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/01 05:21 UTC 版)
図書館の建物は1984年(昭和59年)9月に完成した鉄筋コンクリート構造3階建てで瓦葺である。図書館単独の建物で、他の施設は併設していない。館内には職員用のシンドラーエレベータ製のエレベータがあり、同社製のエレベータで死亡事故が発生したのと同時期の2006年(平成18年)6月2日に扉が閉じなくなるトラブルが起きている。 館内は以下の通り。 階 面積(m2) 主な設備 3階 99.00 機械室 2階 921.19 参考図書室、学習室、郷土資料室、視聴覚室、書庫 1階 658.39 開架閲覧室(一般・児童)、書庫
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建物の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 04:27 UTC 版)
飛騨市役所本庁舎に隣接して建ち、市役所西庁舎を取り壊した跡地に建設された。建物は地上4階地下1階建てで、延床面積は7,143m2、プロポーザルで株式会社金沢計画研究所が設計を担当。日本建築家協会優秀作品選2011および2010年優秀照明施設東海支部長奨励賞を受賞している。建物としての別名は「飛騨市西庁舎」、正式名称は「飛騨市図書館複合施設」である。飛騨市役所の一部の部署を並置するほか、多目的ホールや授乳室、会議室も設け、広く市民の交流の場となるよう整備された。事業費は26億4千万円。 図書館として機能する部分は1階にあり、延床面積は2,134m2である。館内は木のぬくもりが感じられるように整備され、太陽光を取り込みやすく設計されている。2階には飛騨市高度情報センターと飛騨市教育委員会、3階には飛騨市役所の各部署や会議室がある。
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建物の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/17 02:39 UTC 版)
主構造:木造平屋 正面:煉瓦造 リブ・ヴォールト天井 設計:不詳 施工:柄本庄一 木造の主構造に正面の赤煉瓦、両側にはバルコニー風のアーケードが設けられ、扉を兼ねるガラス窓から出られる独特の構造となっている。2000年の大修理では、全体が白く塗られた。
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建物の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 07:10 UTC 版)
構造:石造平屋 様式・意匠:ロマネスク調の教会堂で、平面は単廊式、天井はアーチやヴォールトを用いず、二重持送りのハンマー・ビーム架構で折り上げられている 設計・施工:鉄川与助 頭ヶ島教会は五島列島最東端で幕末までは無人島であった頭ヶ島に建てられた小規模な教会ではあるが、西日本唯一の、また日本全国でも珍しい石造の教会堂であり、その意匠も優れている。鉄川与助の設計・施工、大崎八重神父の指導により、島内の石を切り出し、積み上げて建設された。内観の造形は、船底天井と五島列島の椿を模した花装飾と、青を基調とした華やかな雰囲気が美しい。教会堂のほかに司祭館と門柱が重要文化財の附(つけたり)指定となっており、土地(境内地)も2003年に重要文化財に追加指定されている。教会堂本体とともに付属建物・石垣・石段などが周囲の環境とともに良好に保存されている点が、文化財として高く評価されたものである。 主任司祭は常駐しておらず、カトリック鯛ノ浦教会の巡回教会となっている。
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