里脇浅次郎とは? わかりやすく解説

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里脇浅次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/18 09:43 UTC 版)

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枢機卿
ヨゼフ 里脇浅次郎
Iosephus Asajirō Satowaki
カトリック長崎大司教
教会 カトリック教会
大司教区 カトリック長崎大司教区
着座 1969年3月16日
離任 1990年2月8日
前任 山口愛次郎
後任 島本要
他の役職 カトリック鹿児島司教
(1955年 - 1968年)
聖職
司祭叙階 1932年12月17日
司教叙階 1955年5月3日
枢機卿任命 1979年6月30日
個人情報
出生 (1904-02-01) 1904年2月1日
長崎県西彼杵郡黒崎村
死去 1996年8月8日(1996-08-08)(92歳)
長崎県長崎市
紋章
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里脇 浅次郎(さとわき あさじろう、1904年2月1日 - 1996年8月8日)は、カトリック教会枢機卿長崎大司教(第7代)、鹿児島司教(初代)。洗礼名は「ヨゼフ」。

来歴

1904年長崎県西彼杵郡黒崎村出津(現長崎市)に生まれる。長崎公教神学校を経て、1930年ローマ司祭叙階。里脇枢機卿はローマ留学中に、聖マキシミリアノ・コルベ神父から東洋布教の相談を持ちかけられ、日本へ布教することを薦めた事で知られている。

その後、長崎市の中町教会主任司祭台湾知牧などを経て、1955年初代鹿児島司教に任命、叙階された。

1968年12月19日に長崎大司教に任命され、翌年に着座。1979年には、日本人として3人目の枢機卿に親任される。1981年教皇ヨハネ・パウロ2世が来日した際は、日本司教協議会会長として教皇の傍で活躍した。

1990年、長崎大司教を辞任し、1996年に病気のため帰天(死去)。

なお、里脇枢機卿の出身教会である出津教会は、他にも田口芳五郎枢機卿(元大阪大司教)をはじめ、司祭・修道者など聖職者を多数輩出している。また、実兄の里脇福市(1901年 - 2007年)は、マリア会修道士として、主に教育分野で活動した。

著書

関連項目

外部リンク

先代:
山口愛次郎
カトリック長崎大司教区
教区長

1969年 - 1990年
次代:
島本要




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