信徒の発見と大浦天主堂とは? わかりやすく解説

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信徒の発見と大浦天主堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 14:12 UTC 版)

大浦天主堂」の記事における「信徒の発見と大浦天主堂」の解説

建立まもない天主堂は「フランス寺」と呼ばれ美しさ物珍しさから付近住民たちが多数見物訪れていた。プティジャン神父には「今でも何処かカトリック教徒密かに信仰伝えているのではないか」という僅かな期待があった。 1865年3月17日元治2年2月12日)、浦上長崎市)の住民十数名が天主堂訪れたそのうち4050歳くらいの女性がひとり、祈っていたプティジャン近づき、「私ども神父様と同じ心であります」(宗旨が同じです)と囁き自分たちがカトリック教徒であることを告白したこの女性の名は、イザベリナ杉本百合だったと言われている)。彼らは聖母像があること、神父独身であることから間違いなくカトリック教会であると確信し自分たちが迫害に耐えながらカトリック信仰代々守り続けてきたいわゆる隠れキリシタンである事実話しプティジャン神父喜ばせたその後プティジャン神父密かに浦上五島などに布教兼ねて訪れ隠れた信者発見努めた浦上だけでなく長崎周辺各地多くカトリック教徒秘密裏信仰守り続けていたことがわかった。この「信徒発見」のニュースはやがて当時教皇ピオ9世のもとにもたらされた。教皇感激して、これを「東洋の奇蹟」と呼んだという。この日は現在カトリック教会では任意の記念日祝日となっている。

※この「信徒の発見と大浦天主堂」の解説は、「大浦天主堂」の解説の一部です。
「信徒の発見と大浦天主堂」を含む「大浦天主堂」の記事については、「大浦天主堂」の概要を参照ください。

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