信徒伝道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/05 05:53 UTC 版)
「ハンス・ニールセン・ハウゲ」の記事における「信徒伝道」の解説
ハウゲは回心するとともに、国中の人々に回心すべきことを訴える召命を受けたように感じた。当初、ハウゲは「私のような農夫の子ではなく、牧師やもっと偉い方が人々に回心を訴えて活動すべきだ」と考え、召命の責任を手元から除いてくれるよう神に祈ったりもしたが、神からは「ただ忍耐して人々に伝道すべきこと」、「ハウゲを迫害する者たちに打ち勝つ力と知恵をお前に授ける」といった回答があったように感じられたため、ハウゲは意を決して伝道を開始した。 ハウゲはまず家族に伝道を行った。家族のうち母親だけは、豹変したハウゲの言動に最初戸惑ったものの、すぐに家族全員が回心した。その後、ハウゲは身近な人々に一人ずつ、一対一の対話で回心を勧めていき、活動の輪を広げていった。説教においては感情に訴えることなく、ただ単純に悔い改めを促して、淡々と述べるだけのハウゲであったが、人々は涙して彼に従うようになった。ハウゲはこの時、たしかに神からの力が自分たちを支えていると確信したという。ハウゲと支持者たちから見れば、当時の牧師たちは形式的にキリストの教えを語り、儀式を執り行っているだけであって、信仰の重要性については何ら言及していないように思われた。そして国中の信徒たちについても、洗礼を受けたとしても、形式的に聖餐を受けて暮らすだけでは、本当のキリスト者として生活しているとは言えないとハウゲたちは考えた。そこで、罪を悔い改めて自らの生き方を考え直すべきことを我々がキリスト者として実践し、その伝道をさらに広げていかなければならないと彼らは考え始めるようになった。 そして1796年になると、ハウゲは集会を開いて説教をするようになった。1796年以前は私的な範囲での活動におさまっていたが、この年を境に、ハウゲの公的な活動が開始したことを意味する。1796年から1804年にかけてハウゲは、ノルウェーの北から南まで、あらゆる村・町・都市で説教を繰り返し行った。彼の総移動距離は、15,000km以上と言われている。ハウゲは伝道旅行中、ほとんど徒歩で移動しており、また移動する際には、ほぼ走っていた。旅は過酷で、食料もあまり手元になく、道中に見つけた木々から樹皮を剥いで食べたりした。また寒さ対策のため、移動しながら毛糸で編み物をし、手袋や靴下も自作していたという。 また1796年、彼は著書2冊(『私の歩んできた道』、『神の知恵』)や小冊子を出版し、教会や牧師のあり方を批判するとともに、国民全員の回心を訴えた。その後も彼の執筆・出版活動は、死の直前まで断続的に続いた。
※この「信徒伝道」の解説は、「ハンス・ニールセン・ハウゲ」の解説の一部です。
「信徒伝道」を含む「ハンス・ニールセン・ハウゲ」の記事については、「ハンス・ニールセン・ハウゲ」の概要を参照ください。
- 信徒伝道のページへのリンク