信徒活動の展開と異端審問とは? わかりやすく解説

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信徒活動の展開と異端審問

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 20:53 UTC 版)

キリスト教の歴史」の記事における「信徒活動の展開と異端審問」の解説

異端審問」も参照 10世紀以降カトリック教会内に信徒活動という新しい形運動生まれた。その中には村落内の信心のようなものから始まって、やがては周辺地域まきこむ大規模な運動進展したものもあった。それは一般信徒たちが初め自発的に真にキリスト教的な生活を目指し運動であったその背景には、当時広く流布し終末思想や、妻帯(ニコライズム)や聖職売買シモニア)などが横行していた聖職者たちへの批判こめられていた。そのうち11世紀盛んになったカタリ派12世紀現れワルドー派異端レッテルを貼られて弾圧を受けることになる。ワルドー派は「リヨン貧者」と名乗り創始者ワルドーイエスのような清貧の生活を目指し始めた信徒運動であった。彼らは自分たちで福音精神学んで説教行い信徒による説教許可もとめて第3ラテラン公会議に代表を送った認められず、やがて異端とされることになった不思議なことに同じ時期に、同じ清貧精神人々説教行っていたある青年活動教皇お墨付きを得ることになった。彼こそがアッシジのフランチェスコであり、これがフランシスコ会起源である。同じ頃、やはり説教使命とする一群人々現れ教皇認可受けてドミニコ会生まれた12世紀以降西欧王室権力者たちは中央集権化推し進め、その一環として地域割拠する勢力制圧図ったこのような行動はしばし宗教的正当性名目借りて行われた。その代表的なもの南仏におけるアルビジョア十字軍活動である。カトリック教会にとっても増え続けカタリ派ワルドー派といった異端への対策急務となっており、ここに世俗王権との利害一致した。こうして教皇庁任命した審問官が各地赴いて裁判行い世俗権力がそれをひきとって処罰するという異端審問盛んに行われるようになった宗教界権威者裁き世俗支配者がこれを処罰するというシステム共同生み出したのは教皇グレゴリウス9世皇帝フリードリヒ2世であった。この時期異端審問を後のスペイン異端審問ローマで異端審問区別して中世異端審問」という。 カタリ派ワルドー派殲滅目的始められ異端審問は、同派が活発だった北イタリア南フランス中心に行われた。このシステム欧州各地輸出されたが、北欧ドイツイングランドなどではほとんど行われることはなかった。このように12世紀から13世紀にかけて行われた中世異端審問後世の人々想像していたほど大規模なものではなかったことが研究によって明らかになっている。例えばもっとも有名な異端審問官ベルナール・ギー(仏:Bernard Gui、羅:ベルナルドゥス・グイドーニス、Bernardus Guidonis)は16年わたってその職についていたが、在職中扱った多く審問のうち、死刑宣告したのは40件にすぎなかった。

※この「信徒活動の展開と異端審問」の解説は、「キリスト教の歴史」の解説の一部です。
「信徒活動の展開と異端審問」を含む「キリスト教の歴史」の記事については、「キリスト教の歴史」の概要を参照ください。

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