信徒の吟味
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 01:57 UTC 版)
各村での村民の中の信徒の割合は、大江村・崎津村・今富村では約5-7割、高浜村では一部落のみであった。 吟味の場は崎津諏訪神社(現・天草市河浦町)で、調書には、この神社で信者が「あんめんりゆす(アーメン デウス)」と唱えていたという証言が記されている。島原藩が吟味を進める際にもっとも留意したのは、一揆を誘発してはならないということであった。島原藩の幕府への伺書で、吟味を進めた場合の「異宗」信仰者の行動として 逃散する 頭取のみ逃散 徒党を組む 「異宗」を否定する 従順に吟味を受け入れる という5つの場合を想定し、信仰者が吟味を受け入れる場合は寛大に対応するが、そうでなければ強硬に対処しようという方針を示した。さらに「異宗」吟味中の文化2年5月に島原藩は、島原の乱は百姓の経営難儀に起因するという認識から、天草の減免を願い出ている。天草では18世紀後期以降、「百姓相続方仕法」という徳政令をめぐる運動が断続的に展開していた。吟味の対象となった四ヵ村を含む地域で、百姓相続方仕法をめぐる運動が展開しており、「異宗」を基盤として一揆が起こることを恐れた藩は、文化2年3月以降、庄屋や大庄屋を通じて丁寧に百姓に利害を説きながら吟味を進めた。 摘発された村民たちは、宗教活動の存在を認め、「異物(異仏)」の他、寛永通宝のような貨幣、刀の目貫、鏡も信仰用具として提出した。しかし、今富村では村民の多くの檀那寺である大江村江月院に「異仏」を提出した者の名前を明らかにしないことを取りなしてくれるよう申し出て、庄屋・大庄屋を通じて島原藩に穏便な吟味を願い出ている。 信徒たちは、自分たちの宗教はあくまでも「切支丹」ではなく先祖代々申し伝えられてきた「異宗」または「異法」であると主張した。「今富村百姓糺方日記」によれば、彼らが拝むのは、太陽神であり「作神」である「ていうす様」で、「ていうす(=デウス)様と申すは日天と存じ奉り、毎朝天を拝み申し候」と証言し、いかなる宗教なのか判然としない呪文のような祈り文句を唱えている。高浜村の百姓・伝平の後家たつやその他3人の者の口上書では、寺の檀家となる他に「マルヤ」という先祖伝来の仏様も拝んできたが、招福除災・無病息災・豊作満足、死後は親子兄弟一緒に安楽な来世を送れるという、御利益や来世の救済を得られると聞かされてきたこと、「マルヤ様」を拝むときにはただアンメンジンスと唱えるだけだったと証言している。しかし、マルヤを拝んでも不幸せになり、それは異仏(キリシタン仏)を信仰したための罰ではないかと考え、5年ほど前から異法(キリシタン)はやめたとも証言している。ジョアン七兵衛の口上書では、「アンメンゼンス丸ヤさま」と唱えれば博打に勝つと教えられ、少しは勝ったがその後あまりいいことがなかったので自然にやめてしまったとある。 「異宗」信仰者は宗教上問題があるとは気づかず先祖伝来の習俗であったために信仰していたと島原藩への願書に記し、相互監視を強めて心得違いが起きないよう慎むので容赦していただきたい、と述べている。
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