第1回総会とは? わかりやすく解説

第1回総会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 10:46 UTC 版)

第2バチカン公会議」の記事における「第1回総会」の解説

第1会期(Sessio Prima1962年10月11日 - 12月8日)は、10月13日の第1回総会 (prima congregatio generalis) と共に開かれた。第1回総会は、委員会委員選挙が行われるはずだった。10委員会それぞれ25人の委員を置き、教皇による選任委員長10人に加え、各委員会24委員のうち8人ずつ合計80人とし、公会議委員会ごとに残る16委員ずつ、すなわち計160人の委員を選ぶ予定であった世界中至る所から集まった司教たちの大半互いに初対面で、知己があってもわずかであった。そこでお互い知らない司教2400人のために、教皇庁は特別専門委員会委員として誰が適任なのか提案した。 フェリチ枢機卿参列した司教たちに完全な選ぶ自由を残しながら、第2バチカン公会議準備委員会委員名簿配布した。既に公会議準備携わってきた、経験積んだ専門家であり、自由に適任者を選ぶ助けになるという理由からであった教皇庁選んだ名簿から教父たちによってすべて選択されることが望ましかった事務総長のフェリチ大司教は、委員たちの選挙に直ぐ入るように教父たちに指示した。 しかし教皇庁予期しない出来事起きた公会議初日から、公会議教父たちの大部分は何か異常なことが起きていると感じたのである準備委員会教皇庁職員構成し議事運営方法はその提案沿って進むはずであったが、リールのリエナール大司教異議唱えたからだ。リエナールがマイク取り発言しようとすると、議長であったティスラン枢機卿強く制止せず、マイク取ったリエナールは、フェリチの名簿司教らの自由を奪う教皇庁からの圧迫であると、大きな声で非難して拍手喝采受けた。フェリチはこれに公会議事務総長として反対考えだったが、つぎに演説したケルンのフリンクス大司教がリエナールを支持する更なる拍手喝采受けた最初議長のティスランは10月16日まで選挙延期宣言した。この「クーデター」を計画した枢機卿たちは、既にライン川周辺中部ヨーロッパ作成候補者名簿準備していた。それは、リベラル派名簿であった。 こうして第1回総会は、わずか20分で議事終了し閉会したオランダ或る司教は、公会議会場から退場しつつ友人司祭に「私たち最初勝利だった!」と叫んだ

※この「第1回総会」の解説は、「第2バチカン公会議」の解説の一部です。
「第1回総会」を含む「第2バチカン公会議」の記事については、「第2バチカン公会議」の概要を参照ください。

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