第1回、第2回、第3回国際らい会議、ローマ会議に出席した日本人
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第1回国際らい会議に出席した日本代表は土肥慶蔵、高木友枝。北里柴三郎は第1回会議には論文を寄せた。明治42年の第2回会議には北里が出席。ハンセンの横に座った写真がある。第3回は光田健輔と佐藤秀三。2列目中央に光田が写った写真がある。光田は7人いる名誉副会頭の一人である。この時の大旅行の記録がある。1956年の国際らい会議(ローマ会議)の出席者は藤楓協会理事 浜野規矩雄、多磨全生園長 林芳信、青松園長 野島泰治である。
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