研究者・その他の人物とは? わかりやすく解説

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研究者・その他の人物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/03 17:12 UTC 版)

ハンセン病に関連した人物」の記事における「研究者・その他の人物」の解説

アルマウェル・ハンセン アルマウェル・ハンセン(Gerhard Henrick Armauer Hansen1841年7月29日 - 1912年2月12日)はらい菌発見知られるノルウェー医師ハンセン病彼の名に因むベルゲン生まれ王立フレデリーク大学現在のオスロ大学)で医学学び1866年学位取得した専門家であったダニエル・コルネリウス・ダニエルセンと共に研究進めた1873年全ての患者かららい菌発見したことを発表したが、支持得られなかった。1879年彼はアルバート・ナイサー組織標本与えたナイサー染色することに成功し1880年病原性生物発見した発表した。彼との間に対立もあったが、結局ハンセン発見公認された。 エルヴィン・フォン・ベルツ エルヴィン・フォン・ベルツ (1849-1913):ドイツ出身東京大学医学部内科教授明治9年来日明治11年以降たびたび草津温泉訪れ草津温泉治療効果注目草津温泉世界伝えた。らいの研究についても、結節らいの治療せる1例(1884年)、らいの学説について(1885年)を書いた草津温泉には、彼を称えて胸像がある。 詳細は「エルヴィン・フォン・ベルツ」を参照 Guy Henry Faget ガイ・ヘンリィ・ファジェット 米国カーヴィル療養所病院長(director,1940-1947)で、プロミンハンセン病対す有効性発見した1947年心臓病亡くなり没後1958年東京国際らい学会と、1984年のカーヴィル百年祭でも表彰された。なお、The Star初代編集長によると、健康を害したあと事故なくなったことを示唆している。ガイ ヘンリィ ファジェット英文 Sister Hilary Ross 米国カーヴィル療養所薬剤師検査技師研究生化学者(research biochemist), Fagetとの共著含め46編の論文書いた。特にスルホン剤の尿中血中濃度測定し使用法決定、その他広くハンセン病学に貢献し色々な学会出席し1958年にはDamien-Dutton 賞、President's Medal女性では初)を与えられた。患者にも慕われ、「カーヴィルの奇蹟」のBetty Martin検査技術教えたEduart Arning Eduart Arning. ブレスラウ(現ポーランド)のアルベルト ナイセル(ハンセンとらい発見争ったドイツ皮膚科医細菌学者1879年淋病病原体発見1906年ワッセルマンらと共同で「梅毒血清診断法」=『「ワッセルマン反応」を考案した)の弟子ハワイやり手首相に招かれらいの生体実験をした。またダミアン神父ハンセン病診断した法律許可され死刑囚にらい腫を植えた3年後発病8年後に死亡したが、後から死刑囚親族ハンセン病多発していることがわかり、その意義認められなくなった村田茂助 村田茂助は、ハンセン病反応有名な癩性結節性紅斑Erythema nodosum leprosum ENL(俗にコブ)を世界先駆けて研究命名した全生園外科医師で、光田健輔同時代研究家、彼との共著もある。しかし早く開業転じた詳細は「村田茂助」を参照 石館守三いしだてもりぞう) 石館守三(1901-1996)はハンセン病治療薬であるプロミン合成日本ではじめて成功した東大医学部薬学科研究した詳細は「石館守三」を参照 ウイリアム・ジョップリング ウイリアム・ジョップリング William Joplingハンセン病分類で有名である。ロンドン大学卒。戦前ハンセン病にも興味あったようであるがアフリカ内科産婦人科担当戦時中軍医であった戦後1947年36歳時にロンドン帰り大学院熱帯医学専攻したその後1950年戦後ロンドン郊外古城つくられハンセン病病院Jordan病院住み込み院長となり、そこで病理医Ridleyと共にRidley-Jopling分類完成した1962年にはらい反応研究した。Joplingのエピソードとして「1950年代初めにErythema nodosum leprosumの命名者知りたくて尋ねてまわり、東京から客人によりそれは村田茂助であるとわかったということがある。Joplingは一人書かれ教科書Handbook of Leprosyでも有名で、この教科書5版数える。その他、Leprosy stigmaについての論文The Star自叙伝書いた増田勇 増田勇 (1872-1945)はハンセン病先覚者である。東京済生学舎卒業青森県開業したが、自力ハンセン病治療法研究したある程度成績がでたので、医学会に患者同席発表した明治39年に、横浜乞食谷戸近く転居、らいを研究した明治40年らい予防法反発批判の書「らい病社会問題」を書くも、政府反発を買い、現在国立国図書館に1冊しか残っていない。なお、国立ハンセン病資料館コピー本がある。らいは怖い病気でもなんでもなく、研究すれば治癒する病気であると考えていた。その後浅草病院移し花柳病専門医となった患者写真撮影しリデル贈った記録残っている。東京大空襲死亡したらい病社会問題 太田正雄 太田正雄木下杢太郎、1885-1945)はハンセン病研究家文学者東北大皮膚科教授東京大学皮膚科教授同大伝染病研究所らい研究部長。らい菌培養並びに動物接種実験を行う。療養所医師病型分類など多少意見違いがあったが、よく耳を傾けられ、光田反応認め国際らい学会雑誌発行させたというエピソードがある。文学者としても高名で、全生園開園30周年記念山桜誌の創作選者となる。らいの治療法目指し研究していたが、プロミン開発を知ることなく1945年没。なお、皮膚科領域では太田母斑世界的に有名である。 詳細は「木下杢太郎」を参照 太田正雄英文神谷美恵子 神谷美恵子(かみや みえこ、1914年1月12日 - 1979年10月22日)はハンセン病患者治療生涯捧げたことで知られる女性精神科医哲学書の翻訳でも著名。「戦時中東大大学病院精神科支えた3人の医師内の一人」、「戦後GHQ文部省折衝一手引き受けていた」、「美智子皇后相談役」などの逸話知られている。語学素養文学愛好由来する深い教養を身につけており、自身優しさ相まって接す人々大きな影響与えた著書の『生きがいについて』 は初版刊行から40年過ぎて読者に強い感銘与えている。 田尻敢 田尻敢(たじり いさむ、博士論文データベースによる、文献によってはひろし)、(1902-1966)は日本医師ハンセン病医師国立療養所長島愛生園国立療養所菊池恵楓園(ここでは園長)、国立療養所多磨全生園 などで患者治療しハンセン病研究したacute infiltration of leprosy発表した内田守 内田守短歌場合内田守人)(1900-1982)うちだまもる、うちだもりと。九州療養所長島愛生園松丘保養園医師として働いた医学博士眼科医ハンセン病研究家ハンセン病療養所入所者、刑務所受刑者短歌指導行い多く短歌集を編集したハンセン病文学全集8 短歌には冒頭1926年 1929年の影の編集者として記載されている。った。終戦前健康を害し回復し戦後開業熊本短大教授となり、社会福祉研究講義した広範な事象興味があり、著書論文多く実行力があり、余りにも活動が盛んで「内田公害」とも言われた。資料熊本県立図書館内田文庫として寄贈した多田景義 多田景義(ただ かげよし、? - 1950年12月26日)は日本医師韓国小鹿島更生園宮古療養所(後の国立療養所宮古南静園)、国立療養所菊池恵楓園勤務した1938年-1945年宮古南静園園長時代入園者を厳しく取り締まった戦時中官舎焼け幹部と共に陸軍の壕に隠れる。入園者は園を離れ1945年戦災マラリア餓えで110名が死亡した戦後菊池恵楓園勤務杉村春三 杉村春三(すぎむら しゅんぞう1910-1994)は在学時代からハンセン病フィールドワーク始め九州大学学び国立療養所星塚敬愛園満州国立らい療養所同康院、リデル・ライト記念養老院などで働き、 『らいと社会福祉』 の研究また、老人福祉についても研究した池尻愼一 池尻愼一(いけじりしんいち1908-1945) ハンセン病専門とした医師で、作家でもある。ハンセン病に関してエッセイ傷める葦」は1年以内30版を重ねた応召し1945年1月ジャワ戦死したペンネーム邑楽愼一(おおらしんいち)保田耕 保田耕(やすだ こう、1907年 - 1943年9月7日)は、日本眼科医外島保養院邑久光明園というハンセン病療養所勤務し初代奄美和光園園長発令されたが、応召し中国戦病死した。 今田虎次郎 今田虎次郎(いまだとらじろう,1859-1940)、大阪府曽根崎警察署長の後に初代ハンセン病療養所外島保養院院長1909年から、1925年まで勤めた患者自治認めた菅井 竹吉 菅井竹吉(すがい たけきち、1871年 - 1944年)は、ハンセン病療養所外島保養院初代医長光田健輔と同様、済生学舎出身であるが、光田同様、ハンセン病精力的に研究した飛松甚吾 飛松甚吾(とびまつじんご、 1883-1945)は、熊本ハンナ・リデルその後継者ライトハンセン病病院回春病院事務長務めた。(1915-1945)。英語がうまく、リデルの手となって活躍した回春病院イギリス系病院であるので、太平洋戦争前に特高警察拘束を受け、そのために健康を害し1945年没した宮川量 宮川量(みやがわはかる,1905-1949)。千葉県立高等園芸学校卒業全生病院国立療養所多磨全生園,国立療養所長島愛生園勤務沖縄県国立療養所沖縄愛楽園初代事務長勤務国立療養所星塚敬愛園勤務園内緑化尽しハンセン病の歴史などを研究した第1回、第2回、第3回国際らい会議、ローマ会議に出席した日本人 第1回国際らい会議出席した日本代表土肥慶蔵高木友枝北里柴三郎第1回会議には論文寄せた明治42年第2回会議には北里出席ハンセンの横に座った写真がある。第3回光田健輔佐藤秀三。2列目中央光田写った写真がある。光田は7人いる名誉副会頭一人である。この時の旅行記録がある。1956年国際らい会議ローマ会議)の出席者協会理事 浜野規矩雄、多磨全生園芳信青松園長 野島泰治である。 患者と結婚した職員 患者事実上結婚して、それをオープンにしている人もいる。しかしここに述べる人の場合は特殊である。 数奇な運命この方は、満州通州事件遭い1937年7月29日本人以外の家族全員殺害された。父親医師で、開業されていた。幸い、中国人看護婦一人が、身をもって庇い自分の子と言い張って難を逃れた日本戻り親戚の家にいったが、気まずい生活であった多磨全生園付属看護学校入った。ある患者仲良くなった。どちらかといえば看護婦の方が熱をあげたようである。(夫にあたる人はその母親から、たのむから死んでくれといわれたという)夫は自分から他園にいくことを希望し看護婦とわかれることになるが、看護婦はついていったという。そこは綱脇龍妙師の病院であった入籍した人もおられる柳駿 (Joon Lew) 柳駿は、韓国延世大学名誉教授であり、韓国におけるハンセン病指導者である。医学生時、徘徊するらい病患者ショックを受け、韓国京城帝国大学)、日本九州大学細菌学教室)、米国カルフォルニア大)でハンセン病学んだ医師になり最初に勤務したのは小鹿島更生園であった1947年らい浮浪者団体ボス集め物乞いやめようと、希望という運動始めた韓国動乱前に16もの希望ができた。希望運動中央政府により新し定着村運動となった。その他、柳駿医科学研究所理事長になり、ハンセン病関係の種々の役職歴任した一時日本ハンセン病学会にも出席していた。 Kate Marsden イギリス看護婦冒険家旅人。彼女の生涯は1859-1931年。リデルより4年遅く生まれ1年早く死んでいる。父親ロンドン弁護士。8人兄弟末っ子。たいへんおてんばであったという。父親若死したので病院見習看護婦になった当時彼女はブルガリア戦争にいく志願をしている。トルコ戦争をしたロシア人介護したようであるが、これに関して資料おざなりである。イギリス帰り正規看護婦になり、婦長になる。ハンセン病ハワイ療養所勤務したい申し出断られている。インドにいこうと考えていた時、ロシア赤十字から先の戦争看護功績があったと招待をうける。彼女はロンドン宮殿皇太子妃拝謁ロシア女帝親書書いてもらい、旅に出る。エレサレム、コンスタンチノープル現在のトビリシグルジア首都)にいく。1890年11月モスクワ到着大主教とかトルストイ伯爵夫人支援とりつける北東シベリア目指したが、バイカル湖近くイルクーツク支援委員会作った。(イルクーツクらい療養所創設したようだ)その後活躍述べられているが、このプロジェクト協力した人もいる。この旅行真実であったのか、疑問批判もある。 藤野豊 藤野豊 (ふじの ゆたか、1952年11月5日 - )は、日本の歴史学者専攻日本近代史)、思想史家、前富山国際大学准教授経て現在は敬和学園大学人文学部教授。特にハンセン病の歴史研究している。

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