研究者による再評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 14:44 UTC 版)
御巫清直は著書『先代旧事本紀析疑』にて「序文が悪いのであり、それを除けばどこにも偽作と見なすべき理由はない」と見なし、1947年飯田季治は『標注先代旧事本紀』の解題で偽書説を批判し、1958年G.W.ロビンソンは『旧事本紀攷』にて「『日本書紀』が部分的には『先代旧事本紀』を材料にしたとする説」を著した。1962年鎌田純一の『先代旧事本紀の研究 研究の部』・『校本の部』は「研究対象としての『先代旧事本紀』の復権は、鎌田の著作なしにはあり得ないことであった」と評価されている。鎌田純一は、先に成立していた本文部分に後から序文が付け足されたために、あたかも本書が成立を偽っているような体裁になったとして、本文は偽書ではないと論じた。鎌田は序文に関して、奈良・平安初期の他の文献の序文と比べると文法が稚拙であること、延喜4年(904年)の日本紀講筵の際に『古事記』と『先代旧事本紀』はどちらが古いかという話題が出ていること(当時すでに序文が存在していたならそもそもそのような問いは成立しない)、鎌倉時代中期の『神皇系図』という書物の名を記していることを指摘し、序文の成立年代を鎌倉時代以降とした。すなわち、9世紀頃に作られた本来の『先代旧事本紀』には製作者や製作時期などを偽る要素は無かったということである。2001年の上田正昭との対談では、序文が付け加えられたのは「古代末期か中世初期」と述べている。
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