研究者のナーヤカに対する見解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 15:59 UTC 版)
「ナーヤカ」の記事における「研究者のナーヤカに対する見解」の解説
16世紀前半のヴィジャヤナガル王国が王を中心とし、ナーヤカを地方領主とする、極めて集権的な封建国家なっていたことはわかるが、研究者の間では、ナーヤカと王権との関係については統一的な見解には至ってない。 たとえば、ヴェンカタラマナイヤという研究者は、王から封土として与えられた領地で、領土のさらなる分配が見られないことから、ナーヤカ制が西洋の封建制とは似て非なるものであるものだとしている。 だが、ナーヤカを封建領主と見るには、それを裏付ける史料が極めて限られ、ナーヤカから王への支払いやその封建的義務についての史料もない。 また、バートン・シュタインという研究者は、ナーヤカについては、シェンジ、マドゥライ、タンジャーヴールなどの大ナーヤカらをのみを扱うとしており、中小ナーヤカのことを「チーフ」と呼び、一概にこれら領主をナーヤカと扱かわないとしている。 しかし、ヴィジャヤナガル期のカンナダ語、テルグ語、タミル語の刻文では、王国内に領地を封土として認められたナーヤカが多数存在していたことは、もはや明らかなことであり、これは少しおかしいと思える。 ナーヤカが重要ではあっても、それが体制化されていたわけではなく、むしろチョーラ朝以来の分節国家、即ち王権の支配は本拠地を除いては、基本的に儀礼的なものであって、在地社会は自律的で富の流れや命令系統では、中央とは結びつけられていなかったという説もある。
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