研究者としての経歴の終わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 14:50 UTC 版)
「ダグラス・エンゲルバート」の記事における「研究者としての経歴の終わり」の解説
エンゲルバートは様々な災難と誤解のため、1976年ごろから全く誰からも見向きもされない状態となった。彼の下にいた研究者の一部はパロアルト研究所へと移っていった。これはエンゲルバートへの不満やコンピュータの未来についての見解の相違などが原因である。エンゲルバートはタイムシェアリングシステムを利用した協調型ネットワークが有望だと考えたが、若い研究者たちはパーソナルコンピュータの可能性を追求したがっていた。この衝突は技術的なものであると同時にそれぞれの時代背景にも原因がある。エンゲルバートはタイムシェアリングしかなかった時代の人であり、若い研究者は能力や権力の集中が疑問視されていた時代の人間である。そしてパーソナルコンピュータの時代はすぐそこまで迫っていた[要出典]。 Bardini はエンゲルバートに関する著書の中で、1970年代前半にARCの主要研究者らがいわゆる自己啓発セミナー(EST)を受けた点を指摘した。エンゲルバートはESTの取締役会に名を連ねていた。ESTは当初はよいものと思われたが、ARCでは士気の低下と結束力の低下を招いた。 マイケル・マンスフィールドによる研究開発全体への支出制限法案、ベトナム戦争終結、アポロ計画終結といった要因により、ARCへのARPAやNASAからの資金は減らされた。SRIの経営陣はエンゲルバートのやり方に失望し、ARCの残存部分を Bartram Raphael の人工知能研究部門の配下とした。Raphael は ARC をTymshare社に渡す交渉を行った。エンゲルバートはこの時期に自宅の焼失という災難にも遭っている。Tymeshare 社は NLS とエンゲルバートの研究室を買い取り、エンゲルバートを含む研究員の大部分を雇い入れた。Tymeshare 社は NLS の商用化を考えていた。Tymeshare 社は以前から ARC と共同研究を行っていて、ミニコンピュータ上へのNLSの移植などをした経験があった。 エンゲルバートは Tymeshare 社で自分が除け者にされていることに気づいた。Tymeshare 社はエンゲルバートのさらなる研究をしたいという要望を無視した。Tymshare社やマクドネル・ダグラス社(1984年にTymshareを買収)の経営陣には彼のアイデアに興味を示すものもいたが、開発のための資金は提供されることはなかった。マクドネル・ダグラスでのエンゲルバートの関心は、膨大な知識の管理手法と航空宇宙プログラムのライフサイクルに関するIT要件に集中している。その中でもグローバルな相互運用性と Open Hyperdocument System の必要性を再認識することになった。エンゲルバートは1986年にマクドネル・ダグラス社を退社し、商業的プレッシャーから逃れて自身のライフワークを追求しようとした。 エンゲルバートは自身の会社 Bootstrap Institute の取締役である。この会社は1988年、彼の娘クリスティーナ・エンゲルバートが設立した。カリフォルニア州メンローパークにあり、彼の最近の哲学とも言うべき集団的知性の概念を洗練させることを目的とし、Open Hyper-Document Systems(OHS) と呼ばれるものを開発している。2005年、エンゲルバートは米国科学財団からオープンソースプロジェクト HyperScope への資金援助を得た。HyperScope プロジェクトでは、Ajax と DHTML を使用したブラウザ部品を開発し、Augment システムの機能を再現しようとしている。HyperScope はエンゲルバートの目標と研究に基づき、グループウェアとグループサービスの開発により広いコミュニティが参加するよう計画された過程の最初の段階である。 1988年、娘クリスティーナ・エンゲルバートと共に Bootstrap Institute を創業。1989年から2000年までスタンフォード大学で彼のアイデアに基づいたマネジメントセミナーを開催していた。1990年代初めまではセミナー参加者も多く、エンゲルバートの哲学に賛同して協業を申し出る者もおり、非営利団体 Bootstrap Alliance も創設することになった。イラク侵攻とその後の景気後退でパートナー企業からの援助は減ったが、マネジメントセミナーやコンサルティングは小規模に続行された。1990年代中ごろにはDARPAから新たなユーザインタフェース開発 (Visual AugTerm) のための資金提供を獲得し、大規模なジョイント・タスクフォースに参加している。
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