研究者としての出発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 23:16 UTC 版)
「G・I・テイラー」の記事における「研究者としての出発」の解説
テイラーの1909年に発表された第一論文は光の粒子・波動二重性についてのものである。この論文でテイラーは光源が非常に弱く、干渉の際に一つの光子しか存在しないような場合でも回折による干渉縞が生じることを実験的に示した。テイラーはガス灯の光をスリットに通し、針にあてそれを写真乾板にあてて露光させた。針による回折で写真乾板には干渉縞があらわれる。テイラーは煤でおおわれたガラス板を通すことによって光を弱め、それに応じて露光時間を長くした。最も弱めた場合の光量は標準的なロウソクを約1マイル(約1.6km)離れた位置に置いたときの光量に相当し、写真乾板を露光させる時間としてはおよそ3ヶ月が必要だった。テイラーはJ. J. トムソンが示したもののなかからこの研究テーマを選んだのであるが、後年その理由を「新しく手に入れたヨットで、露光している間に1か月の沿岸クルーズにでかけるためだった」としていた。光子が一つだけでも干渉現象が起きるという量子論の本質的な性質を簡単な装置で端的に示した実験であるが、テイラーは後に「純粋物理学を研究するキャリアには心魅かれるものがなかった」と述懐しており、その後の業績のほとんどは(量子論ではなく)古典論に関するものである。 続く衝撃波の構造を理論的に扱った論文は生涯にわたって研究を続けた流体力学分野でのテイラーの最初の論文である。この論文でテイラーはスミス賞を受賞し、1910年にはトリニティ・カレッジの特別研究員(fellowship)に選出された。
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