研究者からの否定的評価(21世紀以降)
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「後醍醐天皇」の記事における「研究者からの否定的評価(21世紀以降)」の解説
亀田俊和は総体的に見た場合、初期の室町幕府は先代鎌倉幕府の体制を模倣しており、独自の政治構造の創出に至っていなかったと結論付けている。中井裕子は、後醍醐天皇の政策がすでに前代からみられることが明らかになっており、後醍醐天皇が特異な存在という評価は見直されるべき、と述べている。 本郷和人は、後醍醐天皇が「院政を否定」して天皇親政を実現したことで、「英明な天皇」だと高く評価される傾向にあるが、後醍醐天皇は条件が整わなくて上皇になれなかったのであり、上皇として権力を握りたかったのだと指摘しており、また、後醍醐天皇の天皇親政は、後宇多上皇ら歴代上皇たちによって築かれた「徳政」を受け継いでおらず、「徳政」が断絶したことも指摘している。さらに、本郷和人は、明治以来の歴史学が大化の改新、建武の新政(建武の中興)、明治維新を三大画期と評価したことで後醍醐天皇が「英明な天皇」とされているが、むしろ「徳政」をよりよく実行してきた後宇多上皇や花園上皇が天皇家の歴史の中でも極めて優秀だと論じている。さらに、本郷和人は、後醍醐天皇が「英明な天皇」だから討幕に成功したのではなく、鎌倉幕府の内部がガタガタであり、きっかけさえあれば潰れる状況であり、後醍醐天皇のような人物でも討幕に成功できたのだと論じている。 亀田俊和は、後醍醐天皇の政権発足直後から、矛盾する論旨や偽物の論旨が大量に発給されたことで、新政権が大混乱に陥ったことは広く知られていると、著書に記している。また、亀田俊和は『二条河原落書』で「此頃都ニハヤル物、夜討、強盗、謀綸旨、(中略)本領ハナルル訴訟人」と後醍醐天皇が風刺されたのも史実であると、著書に記している。 呉座勇一は、後醍醐天皇の討幕計画の杜撰さは以前から指摘されており、後醍醐天皇の政治的資質の欠如を論じる研究者がいると、著書に記している。 本郷恵子は、花園天皇が謙虚に宋学を学び善政を追求していたのに対し、後醍醐天皇が宋学から学んだ徳は「肥大した自我」そのものであると、痛烈に批判している。また、建武政権で設けられた「窪所」という組織が鎌倉幕府の「問注所」の「問注」の草書が「窪」に似ているために言葉遊びで定められたという説を紹介し、驕りと鈍感力が見られると批判し、後醍醐天皇は伝統的公家政権のパロディに過ぎないとしている。建武政権の家格・先例にとらわれない人事についても、それらが有効に機能することなどなかったと論じている。また、後醍醐天皇は二人の天皇・二つの朝廷を生み出すことで、天皇の権威を決定的に下落させたと論じている。
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