研究者から弁理士へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 07:14 UTC 版)
「立体図形作成装置」について1981年(昭和56年)4月の電子通信学会(現・電子情報通信学会)での発表、1981年(昭和56年)11月号のアメリカ物理学会誌「Review of Scientific Instruments」への投稿などを行うも、一連の発表に対する反応はなかった。小玉が出願した「立体図形作成装置」は研究所内での評価も低く上司が関心を示さなかったことから自分の研究能力に自信を無くし、研究所を退所。研究者としての未練を断ち切り、弁理士を志す。1984年(昭和59年)弁理士試験に合格した。
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