研究者としての最盛期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 07:11 UTC 版)
「ジョン・ナッシュ」の記事における「研究者としての最盛期」の解説
プリンストン大学博士課程在学中はゲーム理論の研究を行い、1950年、非協力ゲームに関する博士論文 "Non-cooperative Games" で博士号を取得。この論文はアルバート・ウィリアム・タッカー教授の指導の下に書かれ、後にナッシュ均衡と呼ばれる非協力ゲームにおける均衡解に関する定義と特性が含まれていた。この頃にナッシュはゲーム理論に関する以下の三つの論文を発表している。 "Equilibrium Points in N-person Games" (1950年、科学雑誌PNASにて発表) "The Bargaining Problem" (1950年4月、経済学雑誌Econometricaにて発表) "Two-person Cooperative Games" (1953年1月、経済学雑誌Econometricaにて発表) しかし、ゲーム理論の研究は着想としては興味深いものの、数学の博士号を得るには数学的に貧弱なものであったため、ゲーム理論に関する研究が博士論文として認められなかった場合に備え、ナッシュは当時から微分幾何学のリーマン多様体への埋め込み問題の研究にも着手していた。ゲーム理論の研究が一通りまとまった博士課程修了後に、マサチューセッツ工科大学やランド研究所でこちらの研究に本格的に取り組み、以下の重要な論文を残している。 "Real algebraic manifolds"(1952年、数学雑誌Annals of Mathematicsにて発表) "C1-isometric imbeddings"(1954年、数学雑誌Annals of Mathematicsにて発表) "The imbedding problem for Riemannian manifolds"(1956年、数学雑誌Annals of Mathematicsにて発表) "Analyticity of the solutions of implicit function problem with analytic data"(1966年、数学雑誌Annals of Mathematicsにて発表) 実際、ナッシュ自身が「(ゲーム理論は)私の仕事の中で特につまらないもの」と評しているように、ナッシュの数学者としての評価を高めたのはゲーム理論に関する仕事ではなく、このリーマン多様体に関する仕事であった。 1953年、当時の恋人であったエレノア(Eleanor Stier)との間に子供が生まれるが、結婚には至らなかった。
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