Kate Marsden
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/03 17:12 UTC 版)
「ハンセン病に関連した人物」の記事における「Kate Marsden」の解説
イギリスの看護婦・冒険家・旅人。彼女の生涯は1859-1931年。リデルより4年遅く生まれ、1年早く死んでいる。父親はロンドンの弁護士。8人兄弟の末っ子。たいへんおてんばであったという。父親が若死したので病院の見習看護婦になった。当時彼女はブルガリアの戦争にいく志願をしている。トルコと戦争をしたロシア人を介護したようであるが、これに関しては資料はおざなりである。イギリスに帰り正規の看護婦になり、婦長になる。ハンセン病のハワイの療養所に勤務したいと申し出、断られている。インドにいこうと考えていた時、ロシア赤十字から先の戦争で看護に功績があったと招待をうける。彼女はロンドンの宮殿で皇太子妃に拝謁、ロシアの女帝に親書を書いてもらい、旅に出る。エレサレム、コンスタンチノープル、現在のトビリシ(グルジアの首都)にいく。1890年11月。モスクワに到着。大主教とかトルストイ伯爵夫人の支援をとりつける。北東シベリアを目指したが、バイカル湖近くのイルクーツクで支援委員会を作った。(イルクーツクらい療養所を創設したようだ)その後の活躍も述べられているが、このプロジェクトに協力した人もいる。この旅行が真実であったのか、疑問、批判もある。
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