患者と結婚した職員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/03 17:12 UTC 版)
「ハンセン病に関連した人物」の記事における「患者と結婚した職員」の解説
患者と事実上結婚して、それをオープンにしている人もいる。しかしここに述べる人の場合は特殊である。 数奇な運命のこの方は、満州で通州事件に遭い1937年7月29日、本人以外の家族全員が殺害された。父親は医師で、開業されていた。幸い、中国人看護婦の一人が、身をもって庇い、自分の子と言い張って難を逃れた。日本に戻り、親戚の家にいったが、気まずい生活であった。多磨全生園付属準看護学校に入った。ある患者と仲良くなった。どちらかといえば、看護婦の方が熱をあげたようである。(夫にあたる人はその母親から、たのむから死んでくれといわれたという)夫は自分から他園にいくことを希望し、看護婦とわかれることになるが、看護婦はついていったという。そこは綱脇龍妙師の病院であった。
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