野島泰治
野島 泰治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/03 17:12 UTC 版)
「ハンセン病に関連した人物」の記事における「野島 泰治」の解説
野島泰治(のじま たいじ、1896年11月10日 - 1970年3月3日)は日本の医師。ハンセン病の治療に当たり、大島青松園勤務41年(うち園長36年)勤める。『祈る らい医師の海外紀行』と 随筆集 『らいと梅干と憲兵』(1971年、野島泰治先生記念会) 終戦直後、海軍より車の提供を受けた野島が使用していたところ、陸軍の憲兵から理不尽にも監禁され体罰をうけたが、それでも死なないでよかったと述べている。
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