多田景義とは? わかりやすく解説

多田景義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/28 15:04 UTC 版)

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多田 景義(ただ かげよし、? - 1950年12月26日)は日本の医師。韓国の小鹿島更生園、宮古療養所(後の国立療養所宮古南静園)、国立療養所菊池恵楓園に勤務した。1938年-1945年の宮古南静園園長時代、入園者を厳しく取り締まった。戦時中官舎が焼け幹部と共に陸軍の壕に隠れる。入園者は園を離れ、1945年に戦災、マラリア、餓えで110名が死亡した。戦後は菊池恵楓園に勤務。

履歴および関連事項

福岡県にて出生。1915年、熊本医學專門學校卒業。京畿道檢疫官。1933年11月 全羅南道済州医院長 1935年1月 朝鮮総督府小鹿島更生園医務課長。[1][2]

1938年7月 臨時国立宮古療養所、所長。1940年-1941年 多田所長の指示で西本願寺より僧侶を招き週2回修身訓話をさせた。1941年7月1日 宮古療養所は宮古南静園と改称。 1944年10月10日 宮古島初空襲。1945年3月26日 大空襲により園も職員官舎も破壊され、死亡者も出た。入所者、職員も園から離れる。園長ら園幹部は野原師団司令部の壕に隠れる。1946年、多田は本土に引揚げる。1947年2月5日 菊池恵楓園に就職(厚生技官医師)。1950年12月26日 菊池恵楓園に在職中に死亡。

宮古南静園における多田景義

実際に就任したのは1938年8月20日である。長身痩躯、長い顔で馬面であった。彼は入園者をきびしく取り締まることを鉄則として、新任早々から、無断外出取り締まりを強化した。なお作業療法の名のもと、毎日入園者を作業に駆り出し、まるで奴隷のように酷使した。そのためたびたびストライキをおこされている。前任者の家坂は監禁室を作らせなかったが彼は1942年に本格的なコンクリートによる監禁室を完成させた。園の境界に鉄条網を張りめぐらした。無断外出に眼を光らせ不在者には減食か監禁室送りであった。軍から強制収容もあり、園内の空気も緊迫した。キリスト教は日本の国体に合わないと、西本願寺から一僧侶をつれてきて、精神訓話をさせた。 施設整備と園内の緑化には力をいれた。沖縄県ハンセン病証言集、宮古南静園集編には、上の様な証言は多数あるが、自ら治療したという記載はない。看護婦が断種も堕胎も治療もしたという。空襲が盛んになって、職員官舎も焼け住む所がなくなり、園を見捨てて野原の師団司令部の陸軍の壕に隠れた。その当時、園長と男性幹部職員2名、看護婦(山下)と夫人との写真が残されている。

文献

  • 『開園50周年記念誌』 1981年刊 宮古南静園、入園者自治会
  • 『創立70周年記念誌』 2001年3月7日 宮古南静園、入園者自治会
  • 滝尾英二 『近代日本のハンセン病と子供たち・考 』 2000年 広島青丘文庫
  • 『国立療養所菊池恵楓園創立50周年記念誌』 1960年 菊池恵楓園
  • 『沖縄県ハンセン病証言集 宮古南静園編 』 2007年,宮古南静園入園者自治会、宮古島市

脚注

  1. ^ 「意見書 第III章 ハンセン病患者の隔離収容される経緯とその意味 滝尾英二
  2. ^ 朝鮮総督府官報、近代日本のハンセン病と子供たち・考(2000)、滝尾英二 広島青丘文庫、広島

関連項目


多田景義

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ハンセン病に関連した人物」の記事における「多田景義」の解説

多田景義(ただ かげよし、? - 1950年12月26日)は日本医師韓国小鹿島更生園宮古療養所(後の国立療養所宮古南静園)、国立療養所菊池恵楓園勤務した1938年-1945年宮古南静園園長時代入園者を厳しく取り締まった戦時中官舎焼け幹部と共に陸軍の壕に隠れる。入園者は園を離れ1945年戦災マラリア餓えで110名が死亡した戦後菊池恵楓園勤務

※この「多田景義」の解説は、「ハンセン病に関連した人物」の解説の一部です。
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