聖書 口語訳
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『聖書 口語訳』(せいしょ こうごやく、英: Bible, Colloquial Japanese)は、日本聖書協会が発行した口語の日本語に訳された聖書のひとつ[1]。新約聖書が『口語 新約聖書』[2]として1954年に出版され、聖書全体の翻訳が1955年に出版された[3]。『口語訳聖書』とも呼ばれる[4]。
注釈
- ^ 田川建三はその後2007年から2017年にかけて詳細な注釈を付けた『新約聖書』の日本語訳を出版した(戸田聡「田川建三訳著『新約聖書 訳と註』全七巻(全八冊、作品社、二〇〇七年~二〇一七年)」『日本の神学』57巻、2018年)。
出典
- ^ “sower_no43.pdf”. 一般財団法人日本聖書協会. p. 17. 2024年6月24日閲覧。
- ^ 『口語 新約聖書』「背」、「扉」明治学院大学図書館デジタルアーカイブス。2023年3月6日閲覧。
- ^ “戦後の口語訳ー現代日本語への翻訳”. 聖書和訳史概説. 明治学院大学図書館デジタルアーカイブス. 明治学院大学図書館. 2023年1月14日閲覧。
- ^ 村井源「漸近的対応語彙推定法に基づく翻訳文の解釈的特徴の抽出」『情報知識学会誌』第20巻第3号、情報知識学会、東京、2010年、293-310頁、doi:10.2964/jsik.20-031、ISSN 0917-1436、全国書誌番号:00082962、2023年1月8日閲覧。
- ^ 日本聖書協会「聖書 聖書協会共同訳 翻訳事業」
- ^ “『聖書 聖書協会共同訳』が銀座・教文館などで発売開始”. クリスチャンプレス (2018年12月3日). 2020年1月3日閲覧。
- ^ 日本聖書協会『口語 新約聖書について』18ページ
- ^ 日本聖書協会『口語 旧約聖書について』4ページ
- ^ 日本聖書協会『口語 旧約聖書について』10ページ
- ^ 馬場 1971, p. 825
- ^ 鈴木 2006, p. 157
- ^ 木田 1995, p. 26(付録)
- ^ 鈴木 2006, pp. 153–154
- ^ 丸谷才一「未来の日本語のために」『日本語のために』参照。
- ^ 鈴木 2014, pp. 776–777
- ^ 塚本虎二「凡例」『新約聖書 福音書』岩波文庫、岩波書店、1963年、p. 3
- ^ 藤原 1974, pp. 188–190
- ^ 田川 1997, p. 628-631
- ^ 永嶋 1988, p. 169
- ^ 新井 1984, p. 62
- ^ 田川 1997, pp. 631–633
- ^ 木田 1995, pp. 26-27(付録)
- ^ 田川 1997, pp. 619–620
- ^ 川島 & 土岐 1988, p. 129
- ^ 田川 1997, pp. 647–648
- ^ 木田 1995, p. 27(付録)
- ^ a b 田川 1997, p. 489
- ^ 新約聖書『ガラテヤ人への手紙』1章7節
- ^ 新約聖書『ガラテヤ人への手紙』1章6節
- ^ 『「口語訳聖書」読み替え一覧』日本聖書協会
- ^ 『新共同訳聖書』スタディ版付録用語解説【重い皮膚病】
- ^ a b 『新改訳聖書』第三版あとがき
口語訳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/06/02 06:04 UTC 版)
「ベネディクトゥス・ドミヌス・デウス」の記事における「口語訳」の解説
新共同訳聖書 ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。 主はその民を訪れて解放し、我らのために救いの角を、 僕ダビデの家から起こされた。昔から聖なる預言者たちの口を通して 語られたとおりに。それは、我らの敵、 すべて我らを憎む者の手からの救い。主は我らの先祖を憐れみ、 その聖なる契約を覚えていてくださる。これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。 こうして我らは、敵の手から救われ、 恐れなく主に仕える、生涯、主の御前に清く正しく。幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。 主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを 知らせるからである。これは我らの神の憐れみの心による。 この憐れみによって、 高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、 我らの歩みを平和の道に導く。 カトリック教会口語訳、「ザカリアの歌」 神をほめたたえよ、イスラエルの神を神は民を訪れて、あがない、わたしたちのために力強い救い主を、しもべダビデの家に立てられた。神は昔、預言書によって語られたように、わたしたちに逆らう者、うらみをいだく者の手から、わたしたちを救い、祖先をあわれみ、とうとい契約を心に留められた。神は先祖アブラハムに約束されたとおり、逆らう者から、わたしたちを救われた。生涯をきよく正しく平和に送り、神に仕えることができるように。幼な子よ、おまえも神の預言者と呼ばれ、主の前を進み、その道をととのえ、神のゆるしによる救いをその民に知らせる。すべては神のあわれみのこころによる。神の深いあわれみにより、夜明けの太陽はわたしたちに臨み、やみと死の陰にある人を照らし、わたしたちの歩みを平和に導く。 日本聖公会口語訳、「ザカリヤの賛歌」 ほめたたえよ、主イスラエルの神を 神はその民を訪れてこれを解放しわたしたちのために力強い救いを 僕(しもべ)ダビデの家に立てられた昔から聖預言者の口をもって語られたように わたしたちを敵から、また憎む者の手から救いわたしたちの先祖を憐れみ 聖なる契約を心に留められた父祖アブラハムに誓われたとおり わたしたちを敵の手から救い出し生涯清く正しく み前で恐れなく仕えさせてくださる幼子よ、あなたはいと高き者の預言者と呼ばれる 主のみ前に先立ち、その道を備え罪の赦しによる救いを その民に知らせる神の憐れみ深いみ心によって あけぼのの光がわたしたちに臨み暗闇と死の陰にいる人を照らし わたしたちの足を平和の道に導く
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口語訳
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新共同訳聖書 わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも 目を留めてくださったからです。 今から後、いつの世の人も わたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、 わたしに偉大なことをなさいましたから。 その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、 主を畏れる者に及びます。主はその腕で力を振るい、 思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、 身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、 富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、 憐れみをお忘れになりません、わたしたちの先祖におっしゃったとおり、 アブラハムとその子孫に対してとこしえに。 カトリック教会口語訳、「聖母マリアの歌」 わたしは神をあがめ、わたしの心は神の救いによろこびおどる。神は卑しいはしためを顧みられ、いつの代の人もわたしを幸せな者と呼ぶ。神はわたしに偉大なわざを行われた。その名は尊く、あわれみは代々、神を畏れ敬う人の上に。神はその力を表し、思い上がる者を打ち砕き、権力をふるう者をその座から下ろし、見捨てられた人を高められる。飢えに苦しむ人はよいもので満たされ、おごり暮らす者はむなしくなって帰る。神はいつくしみを忘れることなく、しもべイスラエルを助けられた。わたしたちの祖先、アブラハムとその子孫に約束されたように。 日本聖公会口語訳、「マリヤの賛歌」 わたしの魂は主をあがめ わたしの霊は救い主である神を喜びたたえる神はこの貧しい女にも 目を留められた今から後いつの世の人も わたしを幸いな女と呼ぶ力ある方が わたしに偉大なみ業をなさったから主のみ名は聖 その憐れみは世々、主を敬い畏れる人に主はみ腕の力を振るい 思い上がる者を打ち散らし権力を振るう者をその座から下ろし 身分の低い人を引き上げ飢えた人を良い物で満たし 富んでいる人をむなしく追い返される神は父祖アブラハムとその子孫に 永遠に約束されたように憐れみを忘れず 僕(しもべ)イスラエルを助けられた
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口語訳
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黄帝は我が始祖にして、その徳は虞(五帝の最後の帝である舜の別名)に集まり、虞は我が先祖にして、その徳も(また転々として同じ土徳である)新にめぐって来た。戊辰の年(初始元年)、木星は大梁の方角に至り、東方七宿(東にあって青龍を構成する7つの星)の星々が戊辰の方角に集まって、天下は安定した。ここに天命によって民を安堵せしめ、(火徳の前漢より生ずる)土徳によって(前漢に代わりその天命を)受けて国号を改め帝位に就いた。そして丑の月(初始元年12月)を年始と定め、長寿隆崇である。度量衡の基準を統一し、精密に考えた上で前人の制度に合わせた。東方七宿が己巳の方角に集まり、木星が実沈の方角に至った己巳の年(始建国元年)に至って、初めて天下に公布した。みな末永く守り実行し、子や孫の代まで受け継いで、億年の先までも長く伝えよ。
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口語訳
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^ 日本聖書協会 「創世記」2章4節『口語訳聖書』、1954年、1955年。これが天地創造の由来である。主なる神が地と天とを造られた時、 ^ 日本聖書協会 「創世記」2章3節『口語訳聖書』、1954年、1955年。神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。
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口語訳
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(始皇帝の)二十六年、皇帝はことごとく天下を統一し、諸侯や人民は大いに安らかとなった。(ここに)王号を立てて「皇帝」と称した。そこで丞相の隗状(かいじょう)と王綰(おうわん)に詔し、度量衡の制度が統一されず疑わしいものは、みなこれを明らかにして統一させた。
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口語訳
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(二世皇帝の)元年、丞相の李斯・馮去疾に制を詔した。「度量衡はことごとく始皇帝が統一し、みな(標準器に)その銘が刻まれている。今、それを受け継ぐことになった。しかし今ある銘には『始皇帝』と書かれていないので、長い歳月の後には、後裔である二世皇帝が度量衡を統一したかのように、その成功や徳を(不当に)顕示しているように見えてしまいかねない。(そうならないように)この詔を刻め」と。それ故に左に刻して疑われないようにするのである。
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口語訳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 15:33 UTC 版)
ここは故郷を遠く数百里離れた満州。ここに戦友は眠っている。少し前まで最前線で戦っていたものがここに眠っている。 そう、戦いのさなか、私の隣で友は撃たれ倒れた。私はすぐに抱き起こし、「しっかりしろ!」と声をかけた。軍法では許されないのかもしれないが、とても放っては置けず弾丸飛び交う中で手当をしてやった。しかし折しも“突撃”の声。友は「お国のためだ、行け。俺に構うな」という。やむを得ず放置したのだが、それが今生の別れとなってしまった。戦いが終わった夕方に、せめて生きていてくれと探しに戻ったのだが、友は既に冷たくなり、魂は国へと帰っていた。友は死んでもそのポケットの中の時計はコチコチと動いており、その音が虚しい。 思えば日本を離れ、玄界灘(をはしる輸送船の中)で互いに名乗り合った日から、煙草も分け合い、手紙も見せ合い、互いのことはいろいろ知り合い、いずれ死んだときは骨を拾ってくれと言い合った仲でもある。だが、不思議に自分だけが死なず、友の墓穴を掘ることになるとは。 この月夜、行灯の明かりを頼りに、君の最期について親族に細々と説明の手紙を書くにつけ、この書状を読むであろうご遺族の思いを想像してつらい気持ちである。
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