中国全誌とは? わかりやすく解説

中国全誌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 16:54 UTC 版)

ジャン=バティスト・デュ・アルド」の記事における「中国全誌」の解説

デュ・アルド本人中国訪れたことはなかったが、中国派遣されイエズス会士報告をもとに、1735年に『中華帝国中華韃靼地理・歴史年代政治事物記述』(中国全誌)全4巻出版した。この書物イエズス会士著作をもとに構成され百科事典風の書物で、ヨーロッパ人中国研究の集大成とも言える著作であったDescription géographique, historique, chronologique, politique et physique de l'empire de la Chine et de la Tartarie chinoise. Paris: P.G. le Mercier, imprimeur-libraire. (1735). http://www.biusante.parisdescartes.fr/histmed/medica/cote?00992 第1巻序論地理年代用語集で、地理ジャン=バティスト・ブルギニョン・ダンヴィル(フランス語版)による精密な地図附されている。この地図康熙帝のもとで宣教師組織的に行った測量データ元にしており、従来のものより格段に精度高かった年代伏羲からはじまり、堯から後は西暦年代記しているが、堯の即位紀元前2357年としている。 第2巻中国さまざまな事物に関する議論で、中国の政治経済風俗言語・教育などについて記す。また儒教経書紹介中国の各時代文献翻訳抜粋収録している。 第3巻中国の宗教道徳音楽数学天文学文学医学など。イエズス会によるキリスト教布教史や、南明孝正皇后から教皇にあてた手紙元曲趙氏孤児』のプレマールによる翻訳など収録する第4巻満州モンゴル朝鮮チベットなど周辺地域について。フェルビースト、ジェルビヨン、レジスらによる旅行記載せるまた、各地緯度・経度の一覧を載せる。 『中国全誌』は翌年ハーグ海賊版出版された。また英語(1736)、ドイツ語(1747-1749)、ロシア語(1774-1777、抄訳)にも翻訳された。

※この「中国全誌」の解説は、「ジャン=バティスト・デュ・アルド」の解説の一部です。
「中国全誌」を含む「ジャン=バティスト・デュ・アルド」の記事については、「ジャン=バティスト・デュ・アルド」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「中国全誌」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「中国全誌」の関連用語

中国全誌のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



中国全誌のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのジャン=バティスト・デュ・アルド (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS