中国伝説での「嫫母」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 03:51 UTC 版)
『物原』に黄帝の次妃「嫫母(ぼぼ)」によって石板鏡が発明されたとされている。別称、丑女。丑姓>は、中国で、女媧の氏族として知られている。 次に丑女のエピソードを紹介する。ある女性が桑畑で農作業中に蛇に咬まれて倒れると、毒が体に回らぬように手際よく処置している容貌の優れない女性の姿があった。ちょうどその様子を見ていた黄帝は、その容貌の優れない女性「嫫母」を娶った。あるとき「嫫母」は、石板掘りの手伝いに山へ連れて行かれると、どの女性よりも勝って20枚もの石板を掘り当て、照り輝く荒削りの石板に乱れた自分の像が醜く映るのを見た。そこで、「嫫母」は、その石板を研磨するよう磨ぎ師に命じて鏡を発明した。しかし、それでも容姿の優れない鏡を見て、石板の鏡のことはしばらく忘れていたのだが、他の石板の上で肉を焼いていると、突然石板が割れてその破片が顔に刺さってしまった。彼女は、慌てて再び石板鏡を取り出し、薬を塗っていると、その光景を見た黄帝は、彼女の鏡の発明を褒め称え、彼女の叡智を重用した。 嫫母について、『文選』所収の王褒「四子講徳論」では、倭の偉大な人として記されているが、その誉れはその醜さをカバーする事ができなかったとも記している。
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