日中共同声明
別名:日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明、中日联合声明、中华人民共和国政府和日本国政府联合声明
1972年9月29日に日本政府と中国政府により調印された、日中国交正常化にあたっての声明のこと。日本側の代表者は内閣総理大臣の田中角栄、中国側の代表者は国務院総理の周恩来であった。
日中共同声明の発表には、前年の1971年に行われた米国ニクソン大統領の中国訪問が大きな影響を与えたとされている。米国が突如として、冷戦下でそれまで対立していた中国に歩み寄りの姿勢を見せたことから、日本も後を追う形で、中国共産党政権の承認に踏み切ることとなった。
日中共同声明では、日本政府が中華民国政府(台湾)ではなく中華人民共和国政府(共産党政権)を唯一の合法的な政府として認める内容が盛り込まれた。1952年に締結された日華平和条約により、日本と台湾との間には国交が結ばれていたが、日中共同声明に伴って国交が断絶されることなった。2014年現在、日本と台湾は引き続き国交断絶の状態にあるが、民間レベルの交流は盛んに行われており、比較的良好な関係が保たれている。
一方、中国政府は日中共同声明において、日本に対する戦争賠償の請求権を放棄することを宣言した。しかし、個人レベル、民間レベルの請求権が有効かについては日中双方で主張が異なっており、中国側は有効だとしている。日本の最高裁判所は2007年に、西松建設強制連行訴訟に関連して、日中共同声明によって中国側は個人レベル、民間レベルの請求権も放棄したとする判断を下した。
なお、日中共同声明に伴う国交正常化を記念して、中国からパンダの「カンカン」と「ランラン」が日本に贈られ、上野動物園で展示されることとなった。また、国交正常化とその後の様々な実務協定の締結を背景として、1978年には、日中共同声明の内容を大部分踏襲した、「日中平和友好条約」が締結されることとなった。
にっちゅう‐きょうどうせいめい【日中共同声明】
日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明
(日中共同声明 から転送)
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日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明 | |
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通称・略称 | 日中共同声明 |
署名 | 1972年9月29日 |
署名場所 | ![]() |
締約国 | ![]() ![]() |
文献情報 | 昭和47年10月11日官報第13740号付録官報資料版No. 750 |
主な内容 | 国交樹立 |
関連条約 | 日中平和友好条約、日中貿易協定、日中航空協定、日中海運協定、日中漁業協定 |
条文リンク |
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日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明(にっぽんこくせいふとちゅうかじんみんきょうわこくせいふのきょうどうせいめい、中国語: 中华人民共和国政府和日本国政府联合声明、通称: 日中共同声明〈にっちゅうきょうどうせいめい〉)は、日本国と中華人民共和国が国交を結ぶために1972年9月29日、中華人民共和国の北京で調印された共同声明。
概要
1949年の中華人民共和国樹立以後、中華民国政府と中華人民共和国政府はそれぞれ中国の代表政府であることを主張した。 冷戦期、日本は中国に対して米国と異なる認識に基づいて両政府を認めようとする政策を推進したが、結果的に日本は1952年中華民国を承認し、1972年中華人民共和国を承認した。第9項「貿易・海運・航空・漁業に関する協定の締結のための交渉の合意」に基づいた実務協定の締結は直ちにという訳には行かず、1974年に日中貿易協定、日中航空協定、日中海運協定が結ばれ、1975年に漸く日中漁業協定が結ばれた。[1]
声明の裏では国交正常化初の共同事業が並行していた。1973年5月4日「日本・中国間海底ケーブル建設に関する取極」が調印された。これは1972年8月から政府間で協議されてきたものである。中国にとって初めてのケーブル建設であり、投資・所有は折半という原則でありながら、日本側のKDDはケーブルの保守や海洋調査など大部分を担当した(実際の建設は富士通[2]やNEC[3]など)。区間は熊本=上海で、工事は1976年に行われた。1980年に障害が度重なり、翌年に運休。1986年に復旧し、1997年末をもって完全運用停止した。
調印
要旨
- 日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する。
- 日中国交正常化の実現。
- 日本国政府は、中華人民共和国政府(共産党政権)が中国の唯一の合法政府であることを承認する。
→詳細は「一つの中国」を参照
- 中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。
- 中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。
- 日本国政府及び中華人民共和国政府は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意する。
- 両政府は、右の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、日本国及び中国が、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。
- 日中両国間の国交正常化は、第三国に対するものではない。両国のいずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する。
- 日中平和友好条約の締結を目指す。
迷惑事件
第26回日中首脳会談ではこの発言が議題に挙がった。「添了麻煩」とは「うっかり迷惑をかける」という意味で「中国ではうっかり女性のスカートに水をかけたときに『添了麻煩』という軽いお詫びの言葉だ。日本軍国主義の侵略戦争で中国人民に深い災難をもたらし、戦争では中国では数百万が犠牲となり、日本人民も深く被害を受けた『添了麻煩』を用いてお詫びの言葉とするのは中国人民として到底受け入れられるものではない」と周恩来は発言した。「日本側は過去において、日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えた責任を痛感し、深く反省する」というのが最終案となり、日中共同声明に盛り込まれた。
日中共同声明の効力
日中共同声明は「条約」という形式を少なくとも日本においては採られていないことから、その国際法上の法規範性が問題となる。2007年までに日本の最高裁判所において、二つの事件がこの声明の効力をめぐって争われた。
西松建設強制連行訴訟
一つ目は中国人の強制連行による損害賠償請求権がこの声明の第5項(戦争賠償の放棄)により放棄されたかという問題である。最高裁判所は2007年4月27日、同声明5項の請求権放棄の条項について少なくとも中華人民共和国政府による国際法上の一方的な「宣言」あるいは日中平和友好条約前文において「……共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認し」と規定していること、及び中国政府が国際法上の創設的規定として捉えてきたことに照らして国際法上の法規範性を認めた。
そして、同宣言はサンフランシスコ平和条約[4]の枠組みを否定する趣旨で締結されたものでないことから、個人(法人も含む)の有する請求権を放棄したものと解した。
なお、この声明に基づく請求権の放棄は実体法上の請求権まで消滅させるものではない。従って裁判外に於いて請求することは可能であり、裁判外の和解により受領した賠償金等に対する不当利得返還請求権等が発生したりするものではない。また、請求を求められた側で日中共同声明5項に基づく請求権放棄の抗弁を提出しなければ、その適用を受けることができない。
光華寮事件
二つ目は第3項に基づく中華民国(台湾)政府の承認に関する光華寮事件である。2007年3月27日、最高裁は中華人民共和国が中国を代表する政府になったことにより中華民国政府が代表権を喪失し、中華人民共和国政府が訴訟を受継すべきであると判断した。
脚注
- ^ 日本放送協会. “1からわかる!台湾(1)台湾と中国の関係は?|NHK就活応援ニュースゼミ”. NHK NEWS WEB. 2023年12月28日閲覧。
- ^ 事业历程 - 富士通中国
- ^ 业务进程: 关于NEC | NEC
- ^ 第14条で個人も含めた請求権の放棄が明文化されている。
関連項目
外部リンク
日中共同声明 (1972)
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「日中戦争」の記事における「日中共同声明 (1972)」の解説
1971年10月25日、国連でアルバニア決議が採択され、中華民国が中国の代表権を喪失するとともに常任理事国の地位をはく奪され、中華人民共和国が中国の代表権を得た。1972年2月にニクソン大統領の中国訪問が実現し米中が接近するのと並行して日中国交正常化も進展し、1972年9月には日中共同声明が周恩来国務院総理と田中角栄内閣総理大臣によって調印された。声明第五項では「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する(The Government of the People's Republic of China declares that in the interest of the friendship between the Chinese and the Japanese peoples, it renounces its demand for war reparation from Japan.)」として、中華人民共和国は対日戦争賠償請求を放棄すると宣言された。1978年8月12日には、日中共同声明を踏まえて、日中平和友好条約が締結され、第1条では「主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉」が、第2条ではアジア・太平洋地域他の地域で覇権を求めないと規定された。なお1979年には米中が国交正常化した。 日本は中華人民共和国に対し政府開発援助(ODA)を実施し、1979年から2013年度までに有償資金協力(円借款)約3兆3,164億円、無償資金協力を1,572億円、技術協力を1,817億円、総額約3兆6,553億円のODAを実施した。廃止の方向にあるODAに変わって、財務省影響下のアジア開発銀行が肩代わりして迂回融資を行い、1年あたりの援助金額は円借款の2倍であり、アジア開発銀行から中国への援助総額は日本円で2兆8000億円に上っており、「日本の対中国ODAは3兆円ではなく6兆円。3兆円は日本政府から中国政府に直接援助した金額。アジア開発銀行等の迂回融資分をあわせると6兆円」という主張がある。 日本政府はこれら三つの条約および声明(サンフランシスコ平和条約第14条b、日華平和条約第11条、日中共同声明第5項)によって、日中間における請求権は、個人の請求権の問題も含めて消滅したと認識している。江沢民も1992年4月1日、日本の侵略戦争については真実を求めて厳粛に対処するが、日中共同声明の立場は変わらないと発言している。 また華人労務者への個人賠償が争われた西松建設会社事件での最高裁判決(2007年4月27日)では、サンフランシスコ平和条約は、個人の請求権を含めて、戦争中に生じたすべての請求権を放棄した。また日中共同声明も同様であるとされた。また、重慶爆撃訴訟の東京地裁判決(2015年2月25日)では、国際法の法主体は国家であって個人ではない。また国家でさえ、戦争被害については、国家責任を規定する国際法だけでは賠償を受けることができず、賠償に関する国家間の外交交渉によって合意される必要があるとし、個人の戦争被害については国家間での処理が原則とした。またハーグ陸戦条約第3条も国家間の賠償責任を規定するもので、個人に賠償請求権を付与するものではない、と判決した。
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